ベランダの実験室

思考の記録です。

穂村弘『世界音痴』

 穂村弘さんの『世界音痴』を読みました。

 

世界音痴〔文庫〕 (小学館文庫)

  2017年は「私的穂村さんイヤー」といってもいいぐらい、年始から穂村さんの著作を事あるごとに読んでいます。「エッセイ」というものが割と好きで、それはその人の思考プロセスを垣間見れることが理由の1つなわけだけど、穂村さんの思考回路はなんとなく「ほっとする」のだ。

 私は穂村さんじゃないから、穂村さんの考えにまるっきり賛同することはできない。ちょっとよくわかんないってこともあるけれど、でも、大体わかるような気がする。私はそう考えないけど穂村さんがそうやって考えるのは、すごいよくわかる。そして私は安心する。

 穂村さんのエッセイは自身と世界とのずれをよくテーマにしている。「人生経験値」と称して、自分が他の人に比べて人生の経験が少ないということを書いてみたり(穂村さんは最近までしゃぶしゃぶを食べたことがなかったそうだ。しゃぶしゃぶ食べない歴大体35歳くらい?)あとは、自分に関係ないことは興味がないから、薔薇とチューリップの区別がつかないとか(私は薔薇とチューリップは一応見分けがつきます)。そういう告白を読んでいると、そうだよね、人生ってもっとゆるくていいんだよね、ちょっと世界と折が合わなくてもいいじゃんね、それも味があるし面白いじゃん、って思うのです。それが私にとってはある種の救いになるのだった。だから、私は穂村さんの本を読んでいる。

 もっと、そういうことを世の中の人が発信してほしい。世界は統一されたものではなく、もっと複雑で混沌としていて意味が分からないものばかりなんだ、って言ってほしい。そうすることで救われる人って案外いるんじゃないのかな、って私は思うのです。少なくとも、私は本やネットに触れることで今も生きていけるわけですので、こうしてネットの片隅で誰にも知られなくても声をあげるのです、と思いました。

 方向音痴だからと言って街中を歩くことは禁止されないし、味覚音痴だとしても上手くやりようはあるでしょう?世界音痴だからといって、絶望する必要はないのだと思います。