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ベランダの実験室

思考の記録です。

散歩の余白に耐えられない

 私はよく駅と駅の間を歩く。都会に行くと一駅の感覚は比較的近く、複数の路線が入り乱れているとさらに駅同士は近くなることも。複数路線を使わないといけないとき、私は出発地点の駅から乗換の駅まで歩いたりして、気分転換をすることがある。定期圏外なら+節約(といっても電車の賃金は飲食代に使用するより安い)の意味も込めて。

 散歩をするとき、私には大抵目的地があり音楽がある。どこどこに何時までに行く必要があって、その道中はよく好きな音楽を聴くのだ。目的も音楽もない散歩は、あまりしたことがない。

 今日は、葱を買いにスーパーに行くことにした。汁物に入れる葱がとてもおいしいことに気がついたからだ。葱が食べたい。あとは料理を趣味にしようと思うので、今まで作ったことがない料理を作るため、食材も手に入れたかった。歩く。お店まで歩く。珍しく音楽は持ち歩かない。乗り物も使わない。自分の足で、一歩一歩足を動かす。…暇だ。暇だ、というのはおかしい話だけれど。だって今まさに買い物に出かけているのだし。でも、暇だ。時間の進みが遅い。考えることが何もない。でも無心でもいられない。考えることが何もない、ということについて考えてしまう。運動しているときは、考えているかどうかということすら考えていない。そこまで無にはなれない。歩くことは肉体的にそれほどきつくないからだ。散歩の余白に私は今耐えることができてない、と思った。自分の進みが遅いことがまどろっこしい。考えることもないけど退屈なのも面白くない。散歩。難しい。そういうことを考えていたら、お店に着いてしまったけれど。

 散歩、ね。なんとなく感覚的に散歩ができるようになったほうがいい気がしている。趣味:散歩です。素敵じゃないか。散歩の余白はいい余白。スマホを手に持ち、布団でゴロゴロしているのは、ちょっと後ろめたい余白。ふむ。難しいと思った。