ベランダの実験室

思考の記録です。

自分の事すら考えなくていい時間 他

自分の事すら考えなくていい時間

 本を読むときと、音楽を聴くときと、走っているときは、他人のことについて考えなくていい時間。誰のご機嫌を窺う必要もないし、誰かが傷つくことを恐れなくてもいいのだ。そしてもはや自分の事すら考えなくていい時間。自分がどういう人間だとか、どういうところが嫌いだとか、もっとこうしたらいいのにとか、何であれができないのだとか、うじうじと考えなくてもいい時間。

 それは単純に、本を読むことと、音楽を聴くことと、走ることが、私は楽しいからである。存在を疑わなくていい。私はこれらが好きなんだと思えるから、その価値を疑わなくていい。私にとってこの3つは数少ない「確信」できることなのだ。多分人によっては、読書が宗教に代わり、読書が恋人に代わり、走ることが、、、、なんだろう、ファッションとか?観光とか?食べること、とか?己を向上させることとか、になるのではなかろうか。

 いつまでも確信的なことであり続けるわけではないだろうけど、少なくとも他人のこと、自分のことを考えなくていい時間は、私には必要なことなので、これからも楽しんでいこう。そんなに自分の事ばかり考えるな、って話なのだけどね。

 

都心に来ると憂鬱になる問題

 都心のど真ん中に行くのは物珍しくて楽しい。色んな人がいて、色んなお店があって、情報量が多くて、飽きることがなくて、楽しい。だけど、一方で都心のど真ん中に行くと必ずと言っていいほど憂鬱になる。気分がふさぐ。周りを見渡せば、人、人、人。とにかく人ばっかりだ。この人、人、人、それぞれにそれぞれの人生があるんだろう?考えていることがあるのだろう?幸せなのか、それとも死にたがっている人もいるのか。そんなことは、一通行人の私には知る由もない。知ることができないから想像していると、いっぱいいっぱいになって、酸欠っぽくなる。人がいると、どうも余計なことを考えてしまう。

 それでは、人口密度が低いところに行ってみたら?そうすれば、憂鬱になることは無いのだろうか…?

 

ワッフルを買いながら、なんとなく死にたくなる悲しさ

 自殺願望ほどはっきりと強烈な感情じゃないのだけど、でも、なんだか悲しい、と思う瞬間はやってくる。よくわからないけれど、悲しいときはあるものだ。それが私の場合は、ワッフルを買おうとしていたとき 、だっただけ。

 ワッフルを腹に収めてこれを書いている私は、それほど悲しい気持ちではない。空腹が満たされたからだろうか。何も解決していないけれど、なんとなく何かを先延ばしにして私は今日も生きられた(そんな死にたくなるような急を要する自体じゃないのだけど)。そんな感じで、ずるずるこれからも生きられたらいいなぁ、なんて、これを書いている私は思う。そんな気持ちも、きっと明日には全然変わっているのだろう。

 思っている以上に、心はぐらぐらしていて一定の形を保つことができない。悲しいことはすごい嫌だけど、長く続くものでもないと言い聞かせて、生きるのだ私。ずるずる。