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祝福の日々

私-好きなこと=ブログ、です。

人はみんな考えている

 ということが、未だに自分の中で消化できていない気がする、今日この頃。

 なんだ、例えば渋谷のハチ公前のスクランブル交差点で目的地に向かって四方八方からやってきてどこかへ立ち去る人、人、人、のすべてに「思考」があるのだ、って?…信じられない。人それぞれに人生があり、苦難があり、好いていたり嫌っている人がいて、食べたいものがあったり欲しいものがあったり将来について考えていたり過去について後悔していたり。そういう「思考」という名の脳内活動が行われているんでしょう?信じられますか、奥さん。

 そういう感じなのだ。

 いや、頭では理解をしている。人はロボットじゃないこと。生きているということ。感情があるということ。痛みを感じることができるということ。悲しいこともつらいこともあるということ。わかっている。わかっている、はずなのに。実際誰かと空間を共にし、言葉を交わし、意志のやりとりをしていると、そういう理解は吹っ飛んでいく。もう忘れているというか、どこかに飛んでいるとしか言いようがない。無意識に心得ていればいいのだけど、そうでないと、私は相当社会的にマズイ人間なような気がする。大丈夫かな。

 

 「人は考えている」

 これが「恐怖」でなくて何だろう、と思うのだ。

 私は目の前のあなたが何を考えているのかさっぱりわからない。わからないからとっても不安になる。不安になるからせめて私は正直でいようとする。良い人であろうと心がける(この時点で私は正直ではない)。害がない様に頑張る。で、疲れる。

 人は思考する生き物である。私にはそれが怖い。めちゃくちゃ怖い。他人の頭をスキャニングして、一体どんなことを考えているのか、どんな風に世界を見ているのか、本当に知りたい。本当に考えているのか知りたい。

 

 私は本を読むけれど、最初はよく感心していた。物語の登場人物たちはこんなにややこしいことを考えているのか、って。自分はそこまで言葉にできていないなぁ、すごいなぁ、って。それ以来ちゃんと言葉にできるくらいまで考えるようにしているのだけど、肝心の他者の前ではそんなのすっ飛んでしまうから悲しい。なんでみんな色んなこと考えられるわけ?

 

 人の思考が気になるから、実はブログを読むのが好き。感想文も好きだし、ちゃんと話を聞くのも好き。いいからあなたの考えを教えて?もっと聞きたいという気分になる。

 だけど、思うのだ。人間はそこまで正直じゃないって。それが悪いことなのではなくて、どうしても守りたいもの隠したいものがあって、当然のようにそれは言わない。私も言わない。表現をぼやかしたりするもの。問題は、私の場合秘められたものに対する意識が甘いってことだ。なんというか、裏を読むのが苦手というか。そんな自己分析をしている。表面ばかり受け取ってしまう。表面だけで推理してしまう。考えすぎて空回りしまくる。人づきあい、苦手。

 

 他者を前にして、もう少し落ち着きたい。あわあわしたくない。ゆっくりゆっくりしていたい。裏で何を考えているのかよくわからないのだけど、私はどうすればいいのだろう。