ベランダの実験室

思考の記録です。

言語化

 「言語化する」という言葉。私は文字通り「言葉にする」という意味で使っている。

 

 私は他人についてあまり言語化しないような気がしている。

 山田さんはこういう人。

 鈴木さんはこういう性格の人。

 高橋さんはこんなことが好き。

 だから私は他己紹介があまり得意じゃないと思う。他人のことを説明することをずっと避けてきたようなのだ。

 

 私が誰かを言葉で説明しようとするとき。言葉で説明できてしまうとき。それはその人が私にとって興味深いと判断した場合か、あるいは、その人が生理的に受けつけないくらい嫌いになってしまったか。この2つだと思う。

 

 人を嫌いになるのは嫌なものだ。自分は小さい人間だなって思うし、嫌いという感情は気分が悪い。だから、どんなに嫌なことがあってもそれを気にしないようにしてきたつもりなのだけど、時々それが難しくなることもあるものだ。

 

 私は他人に関心がない。どうしたものか、と考えている。これからの課題というか。どう人と付き合っていけばいいのか、昔ほど深刻に捉える必要はないだろうけれど、ゆっくりとそういうことを考えたいなとは思っている。

 

 言語化していないということはつまり人に興味がないってことでもあり。ただ言葉にすると私という人間はその人の良くないところばかりあげつらってしまうようで、よくないなぁと思うのだった。だから言語化しないってのは、もしかしたら嫌いにならないための防衛策なのかな。違うか。

 

 そういうことを、最近は考えている。