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祝福の日々

私-好きなこと=ブログ、です。

20170102 自称「モノが好き」人間が抱く、ある疑問

つぶやき

 要らないものを片付けながら、私はふと考える。

 いつまでもこんなことを続けていくことはできないのでは?と。

 

 こんなことってなんだ。

 例えば、衝動買いをしたにも関わらず、大して活用ができていない物、とか。

 例えば、プラスチックの、いかにもゴミになるまでが環境に悪そうな物物、とか。

 例えば、年明けの福袋合戦、とか。

 例えば、買うことでお金が循環し、人々が生きていける社会、とか。

 例えば、閉店間際の大量に売れ残った弁当とおにぎりの山、とか。

 

 それはつまり、モノを買ってお金が動き、消費者の生活が彩りに満ち、売り上げが私たちの給料になる社会は、もう無理じゃないの、ってことだ。

 

 「無理じゃないの?」と言いつつ、今のところ、まだまだ「買う」ことは日常におけるありふれた行為だと思う。そして、私は何かを買うことが嫌いではない人間だ。

 でも、こうして、いつの間にか増えてしまった「要らないもの」を整理していると、私はなんだか空しくなるのだ。要らないなら買わなくてよかったのに。もっとそれが欲しい人が有意義に使えばいい。私なんかが買ってしまって申し訳ない、とまではいかないけれど、なんか気分が悪くなってくる。

 

 人々にモノを「買わせる」ノウハウが発達している時代である。本屋さんに行って、私はビジネスの棚には極力近寄らないようにしているのだけど(といっても、良書はたくさんあるし私が読んだ方がいい本もたくさんある)ビジネスの棚には「買わせる」ためのノウハウ本も多い。あとは、「仕事ができる人間」になるための本も多い。冷静に考えてみると、私たちは「仕事ができる人間」になるために働いているわけじゃないよな~って思うのだけど、私自身も冷静になれないときがある。とにかく、モノは売れるに越したことは無いのだと思われているのか?

 なんとかして人々に買わせたい。それが悪いことなのかはわからない。そういう社会はもう出来上がってしまっているのだもの。

 日本は色んなモノが生まれすぎた。私がそれについていけないだけかもしれない。

 でも、ついていけない人が今後増えてきたら、つまりモノをじゃんじゃん買うことに嫌気が差して、本格的に生活改善しようとする人々が大多数になってきたら、この社会って成り立つのかな、って結構思うのだ。その時はその時できっと何かしらの形にはなっているだろうけれど。

 

 これは私の頭の中の妄想であって、他の人はとっくの昔に「買うもの」については考えて考えて、必要なものだけ買ってしまっているのかもしれないね。それが今の世の中なのかも。んー。

 

 私が1つイメージする近未来は、こんな感じ。

 基本的な生活を維持する便利なものを生産する人はごく少数になる(なぜなら各家庭に家電類は普及しきって、その機能にもあらかた満足できる水準までに達し、新たなものは必要なくなるから)

 燃料も品薄になって移動も制限されるようになって、仕方なく各地域で自給自足的な生活を強いられる。

 ネットワークのインフラはまだまだ活用されてから、デジタルな空間はまだまだ発達する、かな。

 

 

 というのはフィクションの世界の話だけれど、もう少し買うものを考えて、買うのだったらモノをきちんと味わいつくさねば、と思った1月2日。それにしても余分なモノが多いこと。ちなみに、良いものを長く使い続けたい、良いものは買う、って方針はそのままであります。