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ベランダの実験室

思考の記録です。

20161212 『僕が死のうと思ったのは』を聴いて、私は「消えたい」とは思わなくなった

 私はその日、1人カラオケボックスで悲嘆にくれていた。
 
 今まで逃げていたことのツケを払わなければいけないような気分だった。自業自得だ。しかしピンときていなかった。何しろ自分でも自分が何をしているのか、あるいは、何がしたいのかわかっていなかったのだ。しかし、自分がやってきたことの責任はとらないといけない。他人にそう突きつけられて、その日の私はひどく取り乱していた。自分でもこうなることがわかっていたはずなのに、いざ言葉にされるとそんな理解は吹っ飛んだ。ああこれからどうしよう。誰にどんなことを言えば良いのだろう。私はどうしたらいいのだろう。パニックになって、相手にどうにか今の自分の気持ちを書いてメールでえいやっ!と送ってそのまま急いで家を出た。とにかく誰とも顔を合わせたくなかった。で、カラオケボックスに行った。
 
 とにかく歌を歌うことにした。
 時々どうしようもなく泣けて、言葉に詰まって、歌えなくなることもあったけれど、とにかく歌った。
 
 で、ひょんなことで、中島美嘉の『僕が死のうと思ったのは』という歌を見つけた。
 聴いたこともないのだから歌えないのだけど、そのタイトルと歌詞に魅かれた。
 
 ふと、Twitterを見る。Yahoo!ニュースを見る。私が好きだった作家さんの突然の訃報が目に飛び込んできた。信じられなかった。出来過ぎだと思った。『僕が死のうと思ったのは』に心馳せていたら、好きな人の死が現実になったのだから。ああ、あの人が生きられない世界なんて。あの人が書く文章がもう読めないなんて。それほど誰かが死ぬことに対して取り乱さない質なのに、今回ばかりはこたえた。メンタルボコボコなのに、さらに追い討ち。
 
 悲しかった。いろんなことが。
 自分という人間が心底嫌になるし、やっぱり総じて楽しくない世界を恨んだ。それもまた自分という人間を嫌悪することにつながった。結局、私という人間はダメなんだろうなぁと思った。
 
 少しばかり落ち着いて、私はカラオケボックスを後にした。
 時間は元々決まっている。
 
 映画を見ることにした。
 久々に劇場という空間で、塩気の効いたポップコーンを食べたくなった。
 何も考えたくなかった。電車に乗りながら、私はiTunesで『僕が死のうと思ったのは』をダウンロードする。静かなイントロからの、「僕が死のうと思ったのは」という言葉で始まる告白。音や言葉を身体に流し込むことだけ考えた。
 ひたすら言葉に耳を澄ます。椅子には座らなかった。ドアの近くに立って、どんどん遠ざかる景色をにらめつけていた。そうしないと泣きそうだったから。
 
 それが、私と『僕が死のうと思ったのは』という曲との出会い。
 
 
 
 その日から、もう一度動き始めた。今までもそういうことはあったけど、その時はガス欠ですぐ立ち止まってしまった。今回は違う。私は、今もちゃんと動いている。
 
 「死にたい」というほど積極的な感情ではないけれど、ずっと「ここではないどこかに行きたいなぁ」と思っていた。厨二病をこじらせている私。でも、その日からあんまり思わなくなった。結局どこに行っても同じことの繰り返しのような気がした。私は、私であることを引き受けねばと思った。それは悪いことじゃないはずだと思った。悪いことじゃないと思う。
 
 この曲が生まれた世界なのだから、それほど悪くないかもしれない、と思うことにしている。悪いどころじゃない、素敵な世界だ。私も、悪くない。そう思うことにした。
 
 
 
 人生に疲れた人がいれば、ぜひこの曲を。勧めたい。