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祝福の日々

私-好きなこと=ブログ、です。

20161207 自分を責めることは生産性がない

  

 昔から、自分に欠けているものをとにかく恨みました。

 

 どうして上手く人と関われないのか。

 人目を気にしてしまうのか。

 言いたいことが言えないのか。

 やりたいことがないのか。

 

 社交性がないのか。

 

 そういう年相応の、人づきあいから始まる、自分への「恨み」に始まり、

 

 「恨み」をどんどんこじらせて、当たり前にやらないといけないことができなくなった高校~大学期は、人として私はダメである、どうにかしてこんな自分はやめないといけない、と毎日毎日思い続けていました。

 

 具体的な事例を挙げると、私は朝起きるのがあまり得意ではなく、寝起きが悪いのですが、自分が「この時間に起きよう!」と思っていた時間をオーバーして寝ていると、それだけで1日がダメでした。

 

 自己肯定感がない、

 と言われればそれまでですが、私は自分の能力的な面ではある程度の信頼がありました。人よりできることがそれなりにあった。自分で試行錯誤して改善していく能力があるように思えた。だから、一切の自分を信じることができない、ってわけではなかったのです。

 

 

 今はあんまり自分をメッタ刺しにすることはなくなりました。

 いいかげんになったし、何より、自分を追い込んで追い込んでナイフで刺しまくってハンマーで殴りかかっても、何1つ良いことがないことに気がついたからです。1つひとつどうにかしていく他なく、「こうあるべき」というのも作り物に過ぎないことを実感しました。

 1つひとつ改善していく他ない。自分の嫌なところ、ダメなところを直したいと思うのであれば、その根底にあるのは「恐怖」ではなく「希望」でないといけないのだと。自分がそうしたいから、自分はそういう生き方をしていきたいから、今も素敵だけどもっと素敵になりたいから。そういうことが「希望」と呼ぶのだと、私は思います。

 

 

 色んなものに支えられているのだと思うけれど、私が達したこの考えは私が自分で得た感覚です。いくら人に言われようと、主張があろうと、私が心底納得しなければ全然機能しないんです。

 

 そして、実生活で、私のこんな胸中を打ち明けられる人など誰もいなかった。いたのだと思うけれど、私は打ち明けることができなかったし、私にそう思わせたのも事実。

 

 私は、もっとそういうことがわかる人になりたいなぁ。

 「考えすぎ(笑)」と一笑してしまうような人間に、なりたくない。