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祝福の日々

私-好きなこと=ブログ、です。

20161121 消えたいと思った人間の話/ amazarashi「自虐家のアリー」

消えたいと思った人間の話 

  私はつくづく「消費する」ことが好きだ。

 物語が好きだ。音楽が好きだ。アニメが好きだ。映画が最近好きになって、ドラマも好きで、映像も写真も小説も好きだ。

 

 好きなものに囲まれてひたすら生きたいと、ここ1年はずっと思ってきた。

 それは「私だけの楽園」だった。ユートピアだった。雪の女王の城だった。 

 そのための現実的な手段を模索していた。ずっと。ずっと。だから将来やりたいこともなかったし、人生設計なぞありえなかった。

 

 探していた現実的な手段がいまいち見つからなくて、ここ1年はずっと「消えたい」と思っていた。「死にたい」でもない。「生きていたくない」でもない。どこか遠くへ行って、誰も知らない場所に行って、一人で生きてみたらどういう気分になるか知りたかった。ポエマーかよ、って思うけど、結構本気で思っていた。本気なのに現実性が全くなかった。

 そんなこんなで、最近は少ない交友関係も音沙汰がなくなった。そういえばFacebookもやめたのだった。

 

dorian91.hatenadiary.jp

  Facebookでは飽き足らず、LINEですら消したいという衝動に駆られるけれど、それは流石にこらえている。が、その忍耐が1か月先も続いているかはわからない。

 

 

 消えたいと願うのは、私が、人のことが怖いからだ。

 真正面に向き合って、自分の言葉を吐き出すのが怖いからだ。否定されるのが怖い、というよりは(理解してもらえないというのはとうに了承済み。私だって他人の言葉を理解してなどいないからだ)他人の激情を受け止める勇気がないのだと、今の私は思っている。怖い。とにかく怖い。泣かれても困る。怒られても困る。呆れられても困る。馬鹿にされる、、、のは大丈夫。困られても困る。どんだけ自分の中で論理を積み上げても、他人のそういった反応を前に、それらは脆くも崩れてしまうのだ。弱い。あまりにも弱い。故に、私は他人を前に本気じゃなくなった。いつのまにか。いつくらいからだろうか。もう中学生くらいにはそんなだったな。本気を出さなければ言い訳がつきそうで。だから他人の不快感なんかは人一倍敏感になったと、自分で言うのもなんだけど思う。

 

 

 他人の理想を自分の理想としていた。それは「私」の理想じゃなかった。

 生きることに怠惰だったと綴った。確かに怠惰だった。だけど時々、怠惰な人間の方が評価される子ども時代があるのだ。そんなことがなければいいなぁ、とあんまり世界に期待しない私だけど、それだけは願わずにはいられない。手のかからない子は、それだけ何かを抑圧していて手がかからないだけですよ多分。

 

 まずは1つ、消えたいと思った人間はハードルを越えた。

 今日はこれからだ。先は長い。

 

 高いと思っていたハードルは、勢いつけばそうでもなかった。けれど、これからだ。

 

amazarashi「自虐家のアリー」

 見つけた。これからたくさん聴こうと思った。

 イントロが好きで、最後の「それでもずっと愛してる」というフレーズがとても好きだ。 

 

www.youtube.com

 

 この曲は、とってもイメージが浮かびやすい。そして苦しく重い。

 ああ、すごい苦しい。ホント人間って様々だと、こういう時思う。私の想像を超えた世界。それでも何かわかってしまう悲しさ。

 

 人は弱い。私は弱い。目の前にいる人に、自分の言葉を伝えるのが、こんなにも怖いなんて。生きていることが希望であり、絶望であり、苦しみであり、喜びなんだろうなって、ふと思う。そして何に喜び何を悲しみ、その量はどれくらいかなんてその人にしかわからないことなのだろうとも。だから、その人のその想いを、なかったことにする人間にはなりたくない。否定する人にはなりたくない。寄り添う人になりたい。ああ、怖い。勇気をください。