ベランダの実験室

思考の記録です。

20161117 映画「永い言い訳」を見た

 これを見て気になっていた西川美和監督の映画「永い言い訳」を観てきた。

 

dorian91.hatenadiary.jp

 

 あらすじなんかは話さないで、言いたいこと・気になったことだけ書くことにする。よってネタバレありありです。注意。

 深津さんが透き通っていた

 まず最初の10分でわかるのが、主人公の作家・衣笠幸夫(ペンネーム:津村啓)の妻・夏子を演じているのが深津絵里さん。幸夫の人生において大きな影響を与えるのが妻の事故死なわけで、夏子は120分の間で登場してくる機会は本当に少ない。

 私自身は、劇中「妻の匂い」のようなそういうものをあんまり感じなかった。これは人によりけりの感想な気がするし、実際幸夫の周りには妻の残り香というか影が付きまとっているしそれが彼を大きく揺さぶらせるけれど。

 妻の夏子さんはとても毅然としていた。卑屈で言葉1つひとつに噛みついてくるような幸夫に対して、なんとか自分の言葉を伝えようとしているような印象を受けた。もう彼に対してひとかけらの愛がないのだとしても、とても大人な女性だと思った。かっこいい。途中で出てくる海のシーンでも、青いワンピースに白い肌が、儚さを演出していた。あの青さは強烈に印象に残っている。

 

マネージャーの岸本君

 池松壮亮さん演じる幸夫のマネージャーの岸本君。

 劇中とっても大切なセリフを語る彼なのだけど、それ以上に彼と幸夫の関係性が気になった。

 妻の事故死の前の幸夫がどういう人間だったのか、どういう仕事人だったのか、実際はよくわからないまま話は進んでいく。まあ、多分コンプレックスのかたまりで自意識過剰で人の前で良い自分を演じてしまう、人として危うさというか危ない橋の綱渡りをしているような人間なのだろうと思うけれど、岸本君はそういう彼をどう思っているのだろうか?私は、彼は幸夫に対して「単純に仕事だから」だけではない心情を持っていると思うのだ。幸夫が心配である、幸夫という人間を作家としてきちんとさせたい。しかし過剰に干渉してこない。そういうドライさを持ち、かつ長い目を持っている、面白い人だな~と思った。

 

美容師

 「妻のはさみ」「髪の長さ」「髪を切る」・・・

 それぞれに意味が込められていた。

 言葉だけでなく、表情だけでなく、色んなものでその人のあり方が本当にわかるのだなぁと面白かった。特に髪の長さではその人の生活状況、性格なんかがわかって面白い。妻の夏子さんが美容師だったのも意味があることなのだろう。

 

コンプレックスの固まり

 私は今回の映画で一番心にきたのは、主人公の衣笠さんの人物像。

 彼がどのように変わっていくのか、というのが作品においても大切な部分なのだけど、まあ、彼がすごい人間で。

 

 妻が死んで冷たい湖に沈んでいくなか、彼は別の女と妻のベットで寝ているわけで。この点は、多分妻の夏子さんもわかっているんじゃないかなぁ~と生前最後に交わした夫婦の会話からうかがえるのだろうけれど、それはさておき。妻の死に泣けない。他の女と寝ている。そういうのはどうでもよくて、自分は鉄人衣笠と同じ苗字なんだそうじゃないお前に俺の気持ちがわかるか?とか、うだうだうるさいんじゃぼけ!!!!と言いたい。色んなうんちくを偉そうに語って、外面だけは良くて、良いこと言っているような感じで、内心は自意識過剰で常に自分がどう見られているのかびくびくしていて、イライラを通り越して、病的で心配になるぐらい、不安定で臆病な男である。  

 

 でも、それがわかってしまう気がして放っておけない。

 私が、幸夫のことが気になる理由だ。

 

 もちろん私は女で、男性の気持ちはわからない。もしかしたら女より利口で賢くありたい、女は常に黙って男の斜め後ろをついて歩け、俺の前を歩くな、みたいなそういうものがあるのかもしれない。私のコンプレックスと一緒にするなと言われるのもわかるけれど、私も他人に正直でいられず、言葉で塗り固めた嘘の鎧を着ている人間だから。

 

 そういうコンプレックスなものに対する扱いについては映画のすべてを通して伝えてくれている気がする。

 

「永い」言い訳

 そしてタイトルの「永い」言い訳。どういう意味だろう、何が言い訳でなぜ「永い」のだろう、と考える。

 私の考えた意味は、人は言い訳を生きている限り生産し続けていく生き物じゃないのかな、ってことだ。自分の行いに関して人はいつも誰かに説明しないといけない。ありのままの自分を受け止めることは恐ろしく難しいことで、誰かに言い訳をしないといけないような気分になる。でも、言い訳を考え続けていくということはつまり物事に対する自分の解釈を常に考えていくということであり、言い訳はどんどん変化していく。それが生きるということであるのだと。

 幸夫に関しては、言い訳の内容がどんどん変わっていって。

 妻が亡くなる前はきっと色んなことに難癖をつけているような人だったと思うのです。想像だけど。言い訳の所在を他人に転嫁していって。だけど、妻が亡くなって泣くことができない、悲しめないということへの言い訳はどうやら彼自身にあるようで。最初は妻への怒りとかそういうものから、どんどん自分の在り方に向かっていく。最終的には「自分を愛してくれるはずだった人」を自分の手で遠くへやってしまったことに気づく。そこからはきっと彼の妻に対する「永い言い訳」が続いていくのだろうなぁ、と。

 

 

 

 ということでつらつらとりとめもないことを書いた。

 この映画はシリアスなところ、イタくてとても見ていられないところ、艶めかしいところ、ほのぼのするところ、そういう色んな要素がバランスよく混ざってできた作品だと思います。特にアダルトなところと対子どもの家庭的な温かみのあるものが、幸夫という存在で両立しているって、考えてみるとすごい。

 多分年を重ねて状況が変わると新たな発見があると思うので、また見る機会があればいいな。