ベランダの実験室

思考の記録です。

20161101 私の中のただ1つのイメージ

 

 とりあえず自分で生活を組み立てられるようになって、好きなものを遠くから愛でることができる生活であれば、私には何もいらない気がする。

 

 と私は思っている。最近。

 

 

 

 20代における結婚願望が低いらしい。そうか、みんな結婚したくないのか。私はよくわからないな、そもそも恋愛がわからないのだから。

 

 

 結婚願望が低いというなら、もっと上の人たちが「結婚って素晴らしいよ」といえばいい。人間は単純だから、みんながいいと思っている物はいいと思えるよ。ドラマも家族のドロドロではなくて、幸せな家庭の素晴らしいドラマを作ればいい。そうすれば、もしかしたら少しは数値が上がるかもよ。

 

 

 先日、知り合いのやつと飲みに行った。

 普段家族以外の人間とは会話をしない私にとって、大イベントである。

 

 彼は私より早く社会人として働いている。

 仮にAと呼ぶことにしよう。

 

 いつのことだったか、長い長い坂を登りながら、Aと私ともう1人Cちゃんは未来の話をしていた。私以外の2人は早く結婚したいという。子どもをもうけたいという。私はその発言の意味がよくわからなかった。どういうことだろうと思った。なんでそんなこと言えるのだろうと思った。

 

 数年の月日が経ち、坂の時の話を思いだしたんだとAに言った。

 Aは「懐かしいね」と言った。

 あの時言ったことは少しも変わらないと言っていた。

 

 だけどAはどこまで本気なのかさっぱりわからない。今付き合っている女の子と結婚するようには思えないし。が、Aは確かに結婚したいらしい。

 

 「治野は?」

 

 聞かれた。

 

 私は答える。

「生きてるかわからないから」

 

 

 本気だった。

 

 私は数年先も自分が生きているような気がしない。正確に言うと死んでいる気もしない。要は自分の未来が想像できないし、自分で未来を作りだしたいとも思っていない。私にとっては常に「今」がすべてであり、「今」何を考えて何を見聞きして感じるか、が大切なことなのだから。

 

 以前はそれではだめだと思っていたのだけど、今は違う。

 別に未来が思い描けなくてもいいやと思えるようになった。

 

 

 でもね、ただ1つだけイメージできる風景があるんだ。

 子どもができたとしたら、私はその子の手を握って肩には紙芝居やら児童小説やら色んな本でぱんぱんになったトートバックを下げて、公園の中を歩くの。

 ただそれだけはイメージできる。

 

 

 さて、それは現実になるのかな。