ベランダの実験室

思考の記録です。

20161007 つながることができなくて良かったんだ

 人と関わりたくない。

 人に働きかけたくない。

 人に干渉したくない。

 

 そう思っている。

 

dorian91.hatenadiary.jp

 つまるところ

 人と関わることで得られる快楽<一人でいることの快楽

が頭の中の状態なのだろうか。もしくは

 人と関わることで得るストレス<人と関わることで得られる喜び

かもしれない。

 

 で、長年頭を悩ませてきた「私、他人とうまくやっていけないわ」問題

 もういい加減うんざりだし、解決する気もない気がするし、材料は出揃っている気もするのでケリをつけたいなって思っているところ。どうケリをつけるのか。

 

 もう、そんなこと気にしない

 

である。

 もうね、私だけなのでした。気にしているのは。気に病んでいるのは。誰かとのつながりもバッサバッサ絶っている状態において、結局誰も私のことなど考えないし(当たり前だ)私がどうであろうと大した問題ではないのでした。私が一番大したことがある(何しろ生きていくのはこの私なので)。

 

 だから、他人からどう言われようと、私は私なのでありそこから逃れることはできないという、古来色んな人が言って書いて歌ってきたことに、私もどうやら納得できるくらいまで実感できつつあるようです。だいぶ遅かったけど。納得しないと私は落としこめないからね、そういう人間なのでした。

 

 どうして他人とうまくつながれないのだろう、と思ってきました。

 人と関わっているときの不足感と不満感と虚しさって一体何だろうと思ってます。全然話を楽しめる気がしないんです。人と関わっているとき。むしろ自分で色々なものを読んだり見たり感じていることの方がずっと楽しいし豊かであるという感覚は変わらない。

 以前は、それではだめだと思っていました。それは健全じゃない。独りよがりで傲慢で自己完結していると思っていました。そこが良くなかったのかも。決められた枠にどう嵌ればいいのかずっとモヤモヤしていました。枠そのものも絶対じゃないというのに。

 

 つながれることが当たり前じゃない。むしろ誰かと感覚を共有できることの方が、奇跡的なのだということに、だいぶ遅いけれどたどり着いたように思います。つながれない自分が悪いと思ってた。それってすごい苦しかった。でも「つながらないといけない」って思う必要はなかったのかもしれませんな。