ベランダの実験室

思考の記録です。

20160916 自傷しませんでしたか?と聞かれた

 私は良くも悪くも他人から関心を受けたことがない、と思っている人間だった。

 だから、他人から「好意」(でも敵意でもいいけど敵意はそんなにない)を受けたとき、純粋に飛びあがるくらいに嬉しいのと同時に、どうしていいかわからなくなる。誰も私に関心を示さないからだ。

 まあ、特殊な状況なんだけど(後述)、「自傷しませんでしたか?」と言われた。言われて、驚くと同時にちょっとうれしい自分がいた。それはなんでだろう?って思ったとき、「あなたは○○ですよね?」と良くも悪くもさほど言われない人生を送ってきたこともあるかもね、と思った。

 

カウンセリング

 自分の中で考えて、ちょっとこれは自分の中で留めるには無理だな、このままでも良くなりそうにないな、と思って、実はカウンセリングに行くようになった。正確に言うとメンタルクリニックのカウンセリングを利用するようになった。なので、カウンセリングの度にお医者さんの問診も含まれる。

 

 「あなたは○○病です」とは今のところ言われてはいない。自分でも精神疾患があるとは思っていない。

 

 過去から現在まで、色々と自分の状態を見定めようと必死だった。なんでこんなに気分が晴れないのか。もやもやするのか。どうしたら良くなるのだろうか。ずっと、ずっと考えていた。実は考えていなかったのかもしれないと、最近では思うようになったけれど。

 例えばこの際言ってしまうと、幾度となく「うつ病」を疑った。そもそも疑うことができる時点でうつ病じゃないのでは?とか悶々としたことはさておき、決定的に私は違うなと思ったのは、

 身体的な症状が全くなかったこと

だった。

 

 頭痛なし、腰痛なし、腹痛なし、便秘持ちでもなし、過食・拒食なし、毎日三食きっちり食べて、何より寝ることが大好き。過眠・不眠、一切なし。多分そこらへんにいる人より健康体。風邪ひかない。湿疹もない。本当に健康体だった。

 

 じゃあ、私は大丈夫じゃん。

 

 そう思うと、私の「これ」は一体何なんだろうと思った。病気じゃない。それなら時間が経てば消えていくのだろうか?よくわからないまま、ここまで生きてきた。

 

 カウンセリングを数回重ねて、私は今まで考えてきたことを正直に話している。多くは私がこれまで何度も何度も考えてきた結果生まれたものであり、それを他者に思いっきり話すという機会はこれまでなかった。だから新鮮さはない気がするけれど、ちょっとした発見もあって面白い。

 

 そんななか、カウンセラーさんからこう言われた。

 

自傷しませんでしたか?」と。

 

私は自傷しませんでした

 答えはNOなのだけど、そうか、私がここまで話してきたことは「自傷しませんでしたか」と言ってもらえるくらいのものだったのかな、と少し安堵した。健康体の私が思っている苦しみは、結局病気などではなく私がなんとか改善したりすれば上手くいくものだと、思っていた。だからそれができない自分に対してなんとなく後ろめたいというか、弱いなぁと思っていた。苦しみを苦しみとして認めていいものか、もしかして私がただ甘いだけなのでは?と思っていた。まあ、でもしんどいんだよね、ってことは認めていいのか、と思えた。

 

 自傷しなかった理由はいくつかあるのだけども、「自傷行為」として苦しみを表現したくなかったってのがある。「自傷する人」というのは、既にイメージが形成されているような気がして。私はそういうイメージを持たれたくなかった。トコトンプライドが高い人間なのだった。あとは、単純に痛そうだし。

 こう書いていくと思うけれど、私はストレスが身体に表れにくいタイプなのかもしれないな。緊張して身体壊すこともなかったし。 行くあてのない感情を逃がす方法は割と早い時期から獲得していた、ってのもあるのかもしれない。

 

今の私

 悲しすぎて。嫌すぎて。寂しすぎて。私の感覚はどんどん鈍っていく。というか、意識下におかないようにしている。感じているけれど何を感じているのか、なぜ感じるのか、自分はそれに対してどうしたいのか、考えないようにしている。自分で閉めたドアの鍵がどこにあるのかわからなくなった状態。アンテナを使えなくしたんだけど、その復旧のやり方がわからない状態。その傾向は増すばかりである。

 わからないから不安だし、人に語るのも億劫になる。他人に追及されても、私自身上手く語れないからだ。語らないといけない、と思うから他人に会いたくないし、わかってもらえないという悲しみばかりが増してしまう。

 

 私は、今、とてもしんどい。

 

 ただ私にとっては、「しんどい」ということすら、自分の確かな気持ちなのか自信がなくなる。「しんどい」と言っていいのだろうか、なんて思ってしまう。気持ちは他者と比較するものじゃないのに。自分が「しんどい」と思っていればしんどいことのはずなのに、この程度でしんどいと思っていても、世間は認めてくれないだろう、とどこかで思ってしまって余計に苦しくなるんだ。

 

 私が生きていける世界があるのか。

 生きていける世界を自分の手で作りだすことができるのか。

 

 その見通しは、残念ながら未だ不透明である。

 

 ただ、自分の感情をきちんと見つめていよう、それを言葉にしたり表現しよう、とは思っている。今はただ、それだけ。