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祝福の日々

私-好きなこと=ブログ、です。

20160910 「カラオケはカードゲームだ」と思った話

 一人カラオケが月1回の趣味になりつつある。

 なりつつある?御冗談。すでに趣味であり習慣だ。

 

 最近も一人カラオケをしてきたのだが、ふと思った。

 カラオケって、コミュニケーションでありカードゲームみたいだ、と。

 

 これは私個人の感想なので、他の人が複数名でカラオケを利用しているときに何を感じているのかはわからない。だけど私にとってカラオケは、「心理戦」かもしれないな、と1人で熱唱しながら思ったのだった。

 

 私がカラオケを心理戦と称するところは、どこにあるのか。

 

 私が友人とカラオケに赴く際、一番ストレスに感じているのは「選曲」だ。人前で歌を歌うことじゃない。それに抵抗があるなら、そもそもカラオケに行こうと思わない。だけど私は行く。部屋に入って気づく。ああ、なんかやりづらいな、ってことに。何がやりづらいか。曲を選ぶことだ。

 例え気心知れた人だとしても、その人の音楽的嗜好を知っていても、曲を選ぶことは緊張する。相手は私とどういう関係なのか。相手は今どういう状況なのか。相手と私はどういうものを共有しているのか。などなどなど。高度なコミュニケーションスキルを求められる空間なのであります。日本人特有の「空気読め」ですな。

 私はK-POが好きである。人前でも人前じゃなくてもK-POPを歌うことは滅多にないのだが、歌いたいと思っているとしよう。相手がK-POPを知らない人だったら、即座に選曲の候補から排除する。相手がK-POP好きだとしても、今はそれほど活動していないアイドルをかつて好きで、今はそれほど聴いてないとしたら、私は今最先端のK-POPは歌わない。面倒くさいから。

 このカラオケの場は大衆的な当たり障りのない曲を歌うことが求められているのか。それとも、それぞれの個性を発揮するべき場なのか。何かテーマが設けられている場なのか。察知してそれに合わせて歌うのは、なかなかストレスなのだなぁということを、一人カラオケをするようになって気づいたのだった。

 そんなこと気にしなくても好きな曲を選べばいいじゃない?と自分でも思いますが、私自身自分がそれほど興味のない曲を歌われた日には、退屈で仕方ないのであります。私は心が狭いので「バラードなんて選びやがって!」と内心思っちゃうんです(自分が歌いたいから)。そういうことを相手が思っているのかなぁ・・と思ってしまうと、もうカラオケってしんどくないですか?

 

 カードのごとく、自分が知っている曲を提示してその反応を確かめたりけん制したりアピールしたり、色々戦い方もあるようです。友人はそんなつもりじゃないだろうけど、洋楽とか歌われちゃうとどうしていいかわからないのであります。本人は好きで歌っているのだろうけど私は全く知らないし、流行のアーティストも知らないのだよ!

 

 ま、だから誰かとカラオケに行くときはそもそも「思いっきり歌う」ということを目的にするのは難しいのかもしれないっすね、というのがまとめです。思いっきり歌いたい私は、最近は誰かとカラオケに行くこともなくなりました。寂しいです。