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祝福の日々

私-好きなこと=ブログ、です。

20160819 「ON 異常犯罪捜査官・藤堂比奈子」#6の覚え書き

 相も変わらず、私はこのドラマに首ったけです。飽きもせず毎回リアルタイムで見て、録画したものをもう一度見なおすということを繰り返しています。このドラマのサントラが出たらほしい。お金があったらDVDも揃えたい。それくらいの感じ。

 

 第5話が、今のところこのドラマで最も重要な一話となっています。ある事件が決着し新しい始まりが提示されるのがこの回だから。自分なりに初見で感じたことはまとめているので書くことはできるだろうけど、なんとなく気が進みません。残虐性だとかそういうことではなくて、あまりに密度が濃すぎて考えることが多そうで。だから第5話はすっ飛ばして第6話の感想を書くことにします。私が「興味深い」と思ったところしか挙げないのであしからず。

 

 今回の倉島さんと清水さん

 倉島さん→バイク(ツーリング?)が趣味。愛車は「しのぶ」という名前らしい。

 そこ、よくわからない設定をぶち込んできて私は困惑。倉島さんの切れ切れの情報をつなぎ合わせるだけの日々。私は彼がわからない。

 清水さん→夜遅くまでお仕事ごくろうさま。藤堂ちゃんの殺人シミレーションの材料。

 東海林さんからも、つれない言葉をばさばさ浴びせられ、清水さんメイン回私見てみたいけどな~。倉島さんも合わせて、このドラマはいい意味悪い意味、焦点が偏りすぎのドラマなのでそれがなぁ・・・。くぅ・・・。

 

ゲームセンターの100円玉

 シェアハウスに、老人のゲーセン通い。身寄りのないお年寄り。持て余す時間。寂しさ。凶器。「ゲームセンターの100円玉」を中心にすると色々とつながる今回の事件。さりげなく社会問題というか時事ネタというか突いてくるあたり、痺れる。ストーリーの発想がどこから得られたのかはわからないけれど、いや、すごいなぁと思いました。普通、100円玉で人を殺せるとは思わないもんね。

 

藤堂の「同感」

 100円玉を身体に強制的に流しこまれて殺されるという、もはやわけわかんない殺人死体を検分している警察&鑑識。鑑識の女の子が「最近は猟奇的な死体が立て続けにあって、感覚が麻痺してしまってますけど、こんな殺され方は・・・(ひどい)」みたいなことをつぶやいたときに、藤堂は「同感」って一言返して、例の「興味深い」っ決まり文句ををぼそりとつぶやくのですが、この「同感」に痺れます(笑)

 私は「いや、あんた全然「同感」って思ってないでしょ」と思っちゃったのですがどうなんでしょうか。

 

今回の藤堂×東海林

 前回の事件で、藤堂に対する東海林の疑念は確信に変わったようです。こいつ嘘っぽい、と。前回までだいぶ最初よりはくだけてきたかな?と思われたこの2人ですが、またまた溝は生まれてしまったよう。でもこれは藤堂の本質を見抜いて東海林が避けているというよりは、別の要因だと思われます。

 というのも、東海林は例の「情報屋のおっさん」と普段通り情報のやりとりをしようと思っていたところ、おっさんの方から「最近の捜査情報と藤堂に対する情報を1週間でくれ、じゃないとお前との関係ばらすからね」なんて脅されちゃうわけです。ここでおとなしく言いなりになるのか、東海林という刑事の腕の見せ所って感じですが、今回はこの程度のやりとりのみ。おっさんは誰かに依頼されていたようで、その依頼主に殺されちゃってそれが次回へつながるようです。

 話は元に戻して、つまり藤堂に対して探りをいれている人間がいる。しかも自分は脅されている身だと。脅されている件について彼がどう行動するかわかりませんけど、とりあえず東海林さんが藤堂さんを避けちゃうのは当たり前の反応ですよね。無用な接触は避けたい。このあたりのやりとりは、萌えるポイントでありました。藤堂の異常性に対して嫌悪感を抱いたが故の「しばらく俺に関わるな」というセリフなのか、どうか。それもあるでしょうが、私は藤堂を仲間と認めたうえで巻き込みたくないという行動の1つかなと思いたいです。多分ね。多分。(確か情報屋のおっさんに圧力かけられた後のセリフだよなぁ・・・?)

 

 今回の中島先生

 前回の衝撃的な事件で、中島先生は逮捕されちゃうわけですが。結局不起訴処分になってしまったようです。そして国の保護施設に隔離されていると。そしてそこから継続して事件のプロファイリングに携わるようになった、と。中島先生好きな私にとっては嬉しいお知らせでした。といっても、何らかの形で藤堂と今後も関係性を続けていくだろうし(刑務所などの面会なんかを想定していたんですけど)しかし、やっぱり彼は自由の身ではないだろうから、それが藤堂にどういう変化を与えるのかな(助けには来てくれないですからね)とか考えていました。

 中島先生は、己のしてしまったことを十分に理解しているし、彼の頭の中にも腫瘍があるようです。だから爆弾を抱えて生きているような感じなのですかね。彼がどのような気持ちでプロファイリングを再開するようになったかよくわからないので、そのあたりエピソードがあるといいなぁと思いました。彼の自発的な希望でのプロファイリングなんですかね。贖罪なんでしょうか。う~ん。もし話数的に余裕があるのなら、ここでもう一度休息回入れてもいいのかも。まあ、いっか。

 

第6話を踏まえての藤堂自身が抱く問題

 第5話と第6話で、それぞれ一見善良そうな人、一見どころか別に猟奇性なんて抱いていない、元々人を殺したいと思っていたわけではない(藤堂が言うには「人を殺すべき人」でしたっけ?)人が、猟奇的な犯罪を犯すことがあるのだということを知った藤堂。そこから、彼女は揺らぐようです。「自分は何者なのだろう?」という問いは根底にあるとして、「猟奇性を持つ人物たちと自分とは何が違うのか」という視点から「いや、猟奇性なんて誰しもが持ちうるものなの?」という視点へ変わっていく。「人を殺してしまう人」というのは明確にわかるものではなく、とても曖昧な領域だと。誰しもがその過ちを侵しかねない、と。

 藤堂は自身が人をいつか殺してしまう人間ではないか、と考えている。ごく自然に。ことさらそれを悲しんでいる様子はなさそうだし(←そもそも感情が無いようなので)かといって、そこからきっぱり離れることもできなさそう。単純に知りたいだけみたい。中島先生は彼女を一人の人間として、他と違うところはあるかもしれないけれど普通の人間だと思って接しているような気がしますが、藤堂は別に救われたいとも思ってなさそうです。む~ここらへんはちょっと難しい。私はまだモヤモヤしています。つまり藤堂がどうなるか、ということについてまだ希望は提示されていない?、のかな。ビジョンといいますか。

 

 このドラマ、殺される側の視点が悉く描かれていなくて殺す側の視点に注目するドラマなのでそうだよなと思うけれど、そこはきちんと見る側も踏まえる必要があるのかもしれません。実際に現実世界では暴力的にその命を奪われた人は存在していて、その周りには誰かがいて、悲しみがそこにはあって。人の命なんて奪っちゃダメなんすよ、やっぱりね。

 このドラマは殺すことを正当化しているわけでは断じてない。だけど視点は、殺す側に注目している。そのことは大事なことだな、と思うんです。

 「殺人は容認されるべきではない」ということが薄れている感覚はないけど、犯人側の事情ばかり追っているので「人が殺される」ということについての感覚、特に猟奇的に殺されるということそのものについては少なからず麻痺しちゃっている感じがありまする。そもそも物語として消費されるという時点で、「死」に対するリアリティって無いに等しいのだと思うわけですが。はぁ~難しい。

 

  

 藤堂がこのドラマで最終的にどういう結論を下すのか下さないのか。今の私には、それがとても「興味深い」です。