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祝福の日々

私-好きなこと=ブログ、です。

20160802「ON 異常犯罪捜査官・藤堂比奈子」#4の覚え書き

 なんというスピード感だろうか。

 「ON」というドラマのスピード感たるや・・・。息をつく間もなく展開されていく物語。今回も楽しむことができました。早速思いついたことをバーッと書いていきたいと思います。

 

  第4話と通して印象的だったのは、東海林(関ジャニの横山さん)が言った「「殺したい」と思うことと「実際に殺すこと」は別物」という内容の言葉。そして、中島先生(林さん)が言っていた「1つ確かなことは、あなた(=藤堂)は人をまだ殺していないということです」という言葉。

 「自分はいつか人を殺すかもしれない」という疑念がずっと頭に残っている藤堂に対する、一筋の光になりえる言葉なのかなぁと思いました。思うだけなら人は罪にはなりませんし、誰かの人生を滅茶滅茶にすることもありません。「殺したい」と「殺す」は同じようで全く違うということ。だからこそ、その「ボーダー」を超えてしまった人は、なぜその川を渡ってしまったのか。中島先生はそこが気になって臨床心理士(そして鑑別医)を志し、藤堂は刑事を志したのでした。

 まあ、だからこそ、「人を殺す」という行為に至るには考えている以上に複雑なプロセスが働いているのかな・・・と思います。ほんとどうしてそうなってしまったのか、ってところから見ていかないと解せない紐が絡まり合っているイメージ。

 

佐藤都夜という女性

  だからこそ、佐々木希さん演じる佐藤都夜が、4人(でしたっけ?)の女性を手にかけてさらに2人も殺そうと思える過程を知りたかったのだけど、物語は先に進んでしまいました。藤堂がつぶやいていたように

・その殺人衝動(というか願望?)は先天的なものなのか

・初めて人を殺めてしまったときに生まれたのか

・それともストーカーに硫酸をぶっかけられたときか

なんなのでしょう。

 ただ考えてみればわかりそうなのは、都夜が犯行に至るまでの要素として挙げられる「美」に対する異常なコンプレックは必ずしも人を殺すことにつながらない、ってことでしょうか。コンプレックスがあっても他に素晴らしいことに昇華できる人はいるのであり、都夜という女性は溜まりに溜まった負のエネルギーと、たまたま激情で犯してしまった犯行が掛けあわされてしまい、あのような暴走になったのか、と。最初の犯行はそこらへんでしばしばみられる「カッとなって殺してしまった」類のものだと思うんですよね。内容としては。つまり、運が悪いというかなんというか。

 それに対して、藤堂が抱く殺人への興味は(もしかしたら幼少期になにかきっかけがあったのかもしれないけれど)もっと本能的なものだと思います。だから藤堂さんの類似例としてはふさわしくないんじゃないかな、佐藤都夜という女性は、って感じで、それは都夜本人もわかっているようでした。

 

藤堂ちゃんvs石上先生

 ああ、これはふと思ったことなんですけども。監察医の石上先生が、藤堂と歩いているシーン。中島先生と藤堂の仲を誤解していた先生が勝手に盛り上がっている場面で、私的には(このおばさんちょっと黙っててくれないかな?)と印象に残っています。

 藤堂さんは、感情がよくわからない人物として描かれている。親しい友人の死んだ場所でも、普通人が思う「悲しい」という感情が出てこない人物。「この場面では○○するべきだと判断しました」という物言いは、まるでロボットのよう。

 その、藤堂さんにとっては「人を愛する」ということでさえ理解できない感情なのでしょうか?まあそうなんだろうな、でもそれが今後変わってくるのだろうな、っていうのが私の結論なのですが、そうであるならば、石上先生が勝手にキャーキャー言っていたり、同じ班の男性陣も「おまえ付き合ってるのか?」とか喚いているのはさぞかし煩いのではないか、いやはや「煩い」という感情さえ湧かないのかな、と思った次第であります。

 

中島先生

 第5話は早くもクライマックス的な展開であるように思われます。第1話で提示された事件の真相が明るみになる?それで第一部は幕を閉じるのか。中島先生のお話になるでしょう。

・包装紙に包まれた飴玉を見てパニックになる

・飴ちゃんを口に突っ込まれて殺された5年前の少女の事件の第一発見者だった

・飴ちゃんの包み紙を未だに大切に持っている

と、色んなことがわかってきました。時計の謎はよくわかりません。

 中島先生が藤堂に話した、「犯罪を犯した人間を怪物ではなく、人間として見る」という言葉は本当なのでしょうか?

 そして気になる藤堂との関係。私はドラマ当初、藤堂-東海林-中島先生という三角関係になるのかなぁと思っていたのですが、なんか違うようです。第3話のラストでピンチに陥る藤堂とそれを助けようと急ぐ東海林・中島ペア、という描き方でできあがっているじゃん!とテンションが上がって迎えた第4話。割とあっさり終わってしまいました。中島先生はともかく、東海林さんは藤堂のことをあんまり意識していないように思われました。ふむ。もう少しこのあたり突き詰めたい。

 

東海林さん

 私は東海林さんにですね、中島先生とは違う視点で藤堂のことをまっすぐ見てくれる人であってほしいのだな、と思いました。いち早く「藤堂って不気味よね?」と感じ、本人にも表現していた東海林さん。第4話では中島先生と藤堂の関係に焦点が移り、やや弱くなってしまったなという印象です。せっかくさ、藤堂さんがナイフをひっそりと持っていることとに気づいているんだからさ、そこもう少し気にしてよ~なんて思いましたが、それは次回でしょうか?東海林さんが藤堂さんに身の上話までしているし、なんか落ち着かないでほしいな~というのが感想です。

 中島先生は藤堂の思考を知っているしそれを尊重してくれている。けれどそれはものすごいマイナーな考え方。彼女の「文化」(と私は呼んだけどつまり考え方、思考プロセス)を、しかし真正面から「それって違うんだ。当たり前じゃないんだ。異常なんだ。」と言ってくれる人に東海林さんはなってほしいのです(なんで私の願望を言っているんだって話ですが)。それは彼女の尊厳を侵すつもりではなくて、彼女のこれまでの働き方とか物言いとかそれも含めて認めたうえで、それでもね!?と言うということ。彼女の父親は「あれは怪物だ」とか言っていたらしいけれど、それは彼女の存在を認めていないですからね。ダメです。

 個人的には、ラスト、藤堂に違法捜査で得た資料を見せるときに東海林さんが割と背が高くて、萌えました。東海林さん好きです。

 

清水くん&三木さん&倉島さん

 いや~こんだけ、ヘビーな殺人が続き主人公も稀な思考回路しているドラマにおいて「笑わせてくれる存在」というのはとってもありがたいと思います。ドラマでいうと同じ班の若手の清水くんと、鑑識の変人三木さんと、藤堂さんに片思いしているって結構設定唐突じゃない?でも好きなんですねの倉島さん、が「脱力」を作ってくれているような。さらに班長の厚田さんがあんな感じで頼りげのないアナログな中間管理職(しかし上司としてはすごい、どんだけストレス耐性あんねん!?と突っ込みたくなる人)を揃えて初めてバランスが保たれているこの感じ。

 ん~たまりません。

 

まとめ

 藤堂さんが人を殺さなくてよかったです。まあ、でも思うけれど、藤堂さんが人を殺すとして、そこには純粋に「殺してみたかった」ってことしか動機にないんだよなぁ多分。フローズン人間をした犯人といい(第2話)都夜ちゃんといい、私欲で人を殺しているけれど、藤堂さんはもっと根源的な何かなんだ。だからほんと読めない。「誰でも殺せる」は逆に「誰を殺せない」なのだ。その人を殺す決定的な理由って、サイコパス的な場合はどういう風に為されるのだろう?気になる。