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祝福の日々

私-好きなこと=ブログ、です。

20160801 私の好きな歌:宇多田ヒカル「真夏の通り雨」

音楽

 私は、収集家だ。

 何かにしぼって徹底的に収集する「コレクター心」のようなものではなく、私は広い範囲のものから好きなものだけをいただくような集め方。

 私はそれを、勝手に「ビュッフェスタイル」と呼んでいる。

 音楽に関しても同じく、主要アーティストの「この曲だけ好き!」という「好き」の集まりで、私のiPodのプレイリストは構成されている。

 

 余談だけど、私は、「好き」には「相対的な好き」と「絶対的な好き」があると思っている。「相対的な好き」は「比べる」好き。ごはんとパンだったら、ごはんの方が好き。それに対して「絶対的な好き」はもっと圧倒的だ。啓示めいた、直感だ。2つの好きを混同しないように、しかし、どちらもバランスよく摂取したい今日この頃。そして、「好き」だけでなく「嫌い」にも居場所を与えること。「相対的な好き」は、「嫌い」という感情がないと成立しない。

 

 さて、そういうビュッフェスタイルな音楽の楽しみ方をしている私が、おそらく「絶対的に好き」だと思えた曲、それが「真夏の通り雨」だ。

 

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 歌詞をまっとうに解釈したことはないけれど、その音楽について思いを巡らせるときに、やり方はいくつかあると思う。1つは、その音楽をめぐる色々なものを織り込むこと。いつこの音楽は生まれたのか、時代背景だけじゃなく作り手をめぐる風景にも視点を向ける。この場合は宇多田さんの近況とか発言とか。曲だけでなくその周りにまで音楽的世界を拡大し考えていく方法。

 だけど。

 私はそれが面倒だ。私がこの曲で震えたのは、その音と言葉と風景。

 宇多田さんがどういう人とかどういう経験をしてきたと言われているとかどう言っているとか、そういうのではないからだ。

 だから、今回は、私が思ったことを中心に書きとめよう。この場合は、音と言葉(歌詞)と風景(プロモーションビデオ)だけで感じたことを書く。

 止まっていることを歌う

 現在地を歌っている曲だな、と思った。

 今何を感じています。私はこういう思いを抱いています。

 それを歌っている曲。

 今ここに立ち止まっていて、そこからどうしたいのか進みたいのか戻りたいのか、様々な思いが去来していく感じが、私がこの曲を好きな理由。別離の曲だけど、戻れないことを心底知っている曲。諦めが漂っていながら、渇望が捨てきれない曲。

 心のエネルギーが最低値に近いとき、私は過去も未来も考えられなくなる。考えたく無くなる。そんな時に、淡々と静かに現状を歌う音楽は、救いだ。

 

静かな曲

 淡々とした音楽。澄んでいる曲。儚い曲。

 静かな曲だな、と思った。静かに、つぶやくように、独り言のように、吐かれる言葉たち。しかし、ラストに向けて「懇願」というか「願い」というか、心情がふつふつをマグマのようにあふれてくる様子が伺える。

 

匂いがする

 午後。灰色の曇り空が天を覆い、しかし雲の切れ間から光が時折差しこむ天気。真夏特有のじっとりとした温さが肌に触れる感じ。通り雨がざぁーっと降ってくる。窓にたたきつける雨音。路上の埃っぽい匂い。それらを感じながら、静かに椅子に座ってテーブルに頬杖をついている。

 そういうイメージ。

 それとも?

 情景が一気に浮かんでくる。そういう音楽は、考えてみると私の知っている範疇ではあんまりないのかもしれない。みんなもっと賑やかだ。この曲は、静かで情景がパッと浮かんできて、きっと人によって浮かべるものは違うだろうなと思えるのが、好き。