ベランダの実験室

思考の記録です。

20160716 ノートを捨てました

ノートを捨てました。一言言いたいのは、捨てるとき大変だからなるべくリングノートは買わない方がいいよ、ということです。ほんと、いちいちリングと紙を外すのは骨が折れる作業でした。

 

私とノート

 私は大変な飽き症でありまして、日記というのは3日続いた例がありません。ですが、日記のように毎日書くことはないけど、自分の思考を紙に書く、という習慣は、10年くらいずっと続けることができました。なんでもないノートに、今自分が思っていること・気になっていることをひたすら書くだけ。それが何よりのストレス発散方法だったのかもしれません。

 そういうことを中学生の頃からやっていて、気が付けば、そのノートは30冊くらい溜まりました。

 

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 こんな感じ。

 

 ですが、私はこれらを読み返すことはほとんどありません。不思議ですが。読み返したいと思ったことがありません。これは私の思考の堆積。もはや過去のことであり、今ではない。だから読みたくない。

 

 最近になって、私は必要以上に過去に囚われ、己に囚われ、己の中の他人に囚われ、色々なものに固執しているのだな~ということを考えました。そう思ったら、ふと「ノートを捨ててもいいか」と思えました。というか捨てないとだめかもしれない。そんな気がしました。

 

捨てた

 捨てました。

 古紙回収に出せるものと出せないものに分けて、完了。さようなら、私のノート。

 それにしても、どんだけノートに金を使っているのだろう?と少し目まいがする感覚。お金に換算する話じゃないけど、本当にノートに対しては金銭感覚がおかしかった私。

 

心境

 懐かしい思い出とかもあったのですが、割とどうでもいいなと思っています。覚えてなくてもいいかな、って。昔は昔。その積み重ねが今の私。それだけですから。ただ、より閉鎖的になったかもしれない。あんまり人を期待しないで生きてきたけど、その実めちゃめちゃ人に期待している人生だったから、ここまで他人を排除している世界はどこかおかしいとも。

 

私とこれからのノート

 ノートは処分しましたが、これからも考えたことをメモするノートは手元に置き続けます。しかし一回使い終わったら捨てることに。よほどのものはデジタル上で別に残すとことを考えています。もう昔のことは考えたくない、です。だから。私は今日、ノートを捨てました。

 

おしまい。