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ベランダの実験室

思考の記録です。

【SWITCHインタビュー達人達】「中島美嘉×坂本眞一」の思考記録

 『SWITCHインタビュー達人達』の中島美嘉さんと坂本眞一さんの回を見ました。

 すごく面白かった。中島さんが出るーーーと思って見ようと思ったのだけれど、対談そのものが面白かった。

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 この対談は、中島さんが漫画家である坂本さんの著作の中のキャラクターのファンであることから始まったみたい。相当そのキャラクターが好きなようで、撮影当日の服装もキャラクターをイメージしているみたい。すごいファッション。だけど違和感なく着ることができているのが、素敵。

 この対談で感じたことをまとめようとするならば、どうやってまとめてみようか。そう考えたときに、別にまとめなくてもいっかな、って思ったところから、話は始めてみようかな。

 

切り貼りされた世界

 こうして感想を書こうと思ったとき、どうしても対象をまとめようとする。感じたことを時系列の順番にただ羅列しても仕方がないしわかりにくい。私は文章を書くときに今のところは意識して気を付けていることはないのだけれど、それでもただ無秩序に文章を書き始めるということはない。

 感動したから、気になったからこうして文章を書いている。その動機自体がある種のフィルターの役割をしている。この文章を通して番組の内容があなたへと届くまでの過程で存在するフィルターだ。つまり、私だって自分の心に触れたことしか書いていないわけであり、大して気にならなかったことはこの文章上には出てこないということだ。それと同じ事が、きっと色んなことに言うことができる。

 私はこういう対談が好きだし、ドキュメンタリー番組も好きだ。『情熱大陸』や『プロフェッショナル』なんかもたまに見る。対象について色々なことが語られているし、本人も語るけれど、きっとそれは誰かのフィルターに濾された結果だ。それが悪いというよりは、そういうものだと思う。色々なことが。

 ここまで踏まえた上で私は何が言いたいのだろう。そうだな、今回の『SWITCHインタビュー』は無理にまとめよう、って気持ちがなかったような気がした。「気がした」だけなので、私の考えってだけのことだが。話の項目を時々テロップというか文章にするぐらいで、そうやって集まった文章たちをまとめることはしなかったような気がするのだ。わかりやすく言うと、「で、結局何が言いたかったの?」という感想を抱いてしまった。

 でもさ、そんなのでいいんじゃないかなーて私は思ったのだ。「まとめる」ということは強調する何かを選ぶと同時に、捨てるものも選ぶということだから。無理にまとめようとしなくてもいいんだ。多分。そんな生真面目じゃなくていいんだ。

 

言語化されたその人のこだわり

  印象的なこと1つめ。中島さんが日頃収録をしているスタジオを本人がご紹介しているシーン。中島さんのこだわりを色々と坂本さんに説明していた場面。色々と出てくる「こだわり」に私は最初圧倒された。中島さんはすごいこだわりを持っていて、彼女自身の「ルール」みたいなものがあって、それを外すと調子が出なくて、きっとそのルールは長年の試行錯誤の結果なんだろうなぁと思った。中島さんのワールドが広がっていると思った。思ったのだけど、これってものすごく特別なことなのだろうか?とも思う。確かに彼女は歌手で、その中でも独特というか独自の存在感を放っていて、そういうこともあってここまで歌ってきていて、私も彼女の楽曲に心惹かれている人間なわけで。そういう「特別」な人だけのものなのだろうか、「こだわり」って。

 私は人の「こだわり話」を聞くのが好きだ。もっと知りたいなぁと思っている。スポットライトが当たりがちな芸能人に限ったことじゃなくて、市井の人々のこだわり話ももっと知りたいと思うのだ。こだわりにはその人だけの世界が広がっていて、ルールがある。私がそれを完全に理解することはできないけれど、「ルール」があるということ、それがどういう経験を踏まえて構築されたのか、ってことが気になるのだ。ただ、そのこだわり話、言語化するレベルまで意識できているかというとちょっとわからない。だから私は『情熱大陸』とかが好きなのだ。その人のルールを番組側が掘り下げてくれたり、光を当ててくれたりするから。

 これも、多分私の「こだわり話」。

 

聞き上手

 印象的なこと2つめ。漫画家の坂本さんが聴き上手だなーと思った。テンションが上がるわけでもなく下がることなく、一定の温度でずっと中島さんの話を聞いていたような気がする(もちろん「編集」されているものを私は見ているので、実際はよくわからないけれど)。それは坂本さんのお人柄なのかしら?中島さんの話は彼女の芯に触れるお話ばかりで、そういう話をあの温度で聞き続けられるのはすごい人だ、と思いました。私もあんな風に穏やかに人の話を聞けるようになりたい。ぐぬぬ

 

流れ

 お二人に共通していたこととして「流れるままに今の職業にたどり着いた」という話があるのではないかな、って思う。もちろんここまでの道のりは並大抵のものではなく、色んな試練があったんだろうってのは想像に難くないのだけど、もっと最初の頃の話で、職業の入口に着くまでは、なんというか非常にゆるゆるしていたというか。中島さんのオーディション話なんかは「すげー」って思いながら見てました私。多分。多分なんだけど、本当にその職業を目指して頑張っている人はつらくなっちゃうんじゃないか、ってぐらい、流れるようにその入口にお二人はたどり着いたように思えたのです。

 そのことについては私は何も言うことはできないのだけれど、「人生流れるままに」ってことは1つあるよなぁ、と思うんです。未来から逆算して考える人生もあるのだろうけれど、誰も予定と同じような未来を得られるとは思わないんです。私は。「こうなりたい!」という意志自体はすごいものだし、いくらでも持っていていいと思うけれど、もう一方で予期せぬ何かを面白がるようなところも、私は持っていたい。自分の人生これでいいんだろうか?と考えたくなるのですけれど、その度に、私は今どういう状況なのか、何を感じて何を見て、私は生きているのか。感じていること見ていることって一体何なのだろうか。自分ができることはなんだろうか。ということを考えられたら、素敵なのかなと思いました。とても難しいことで、今の私はできていないけれど。難しいっすね。それでいいのかもわからないですし。

 「やりたい」という意志と、「流れ着いた場所で頑張る」ということ。ふむ。難しい。

 

 

 

 ということで、こんなことを考えました。面白かったなぁ。

 

東京散歩しながら考えていたこと

 本に囲まれたところに行きたい。ということで本屋さんに行ってきました。なぜかパンケーキミックスを買って、本を買って、定食を食べて、軽く散策して、家電量販店に行って、へとへとになって、帰宅。以下、散策しながら考えていたこと。

楽しみがない問題

 なんだか楽しいことがない。夢中になれることが少ない気がして、こういう休みの日は焦る。有意義に過ごすべき!という強迫観念に襲われて、むしろ休みの方がしんどいんじゃないかというレベルでつらい。どうも私は幼少期から「これが好き!」と言えるものが少ない人間だった気がする。今でこそ色々なものを楽しめるようになったけれど、その分野にのめり込んでいる人に比べればなんともあっさりしたものだ。「深く狭く」ではない。「浅く広く」タイプ。本を読むことだって、ドラマを見ることだって、アニメを見ることだって、音楽を聴くことだって、ただ時間を埋めるためにやっているようなものだ(そういうものだよな)。特別な思い入れってあるのかな私。

 休みの日も充実にしよう。それは強迫だ。別に充実しなくたっていいんだ。そう思うと、幾分心は軽くなる。

 

難しいことわからない

 本屋さんに行く。たくさんの知識と妄想と経験が集約された場所。誰もが目の前の書物に向き合っていて、誰も私に関心を寄せない場所。なんと居心地が良いのだろう。私だって誰のことも考えなくていいのだ。目の前の書物と対峙するだけ。

 興味が湧く本をとにかく手にとって眺めてみる。気になること。自分と他者。風景。綺麗なもの。美しいもの。エッセイ。自然。シンプルな暮らし。そんなものだろうか?ビジネス関係の棚には近づかない。何か良くない瘴気が漂っていそうで。ごめんなさいね。哲学なんかも興味があるけれど、いかんせん難しくて持て余す。基本的に難しいことは苦手だ。目の前の事象にしか興味がない人間なのかしら?とふと思った。確かに。目の前の些細な物事だけでお腹いっぱいって感じ。世の中のことに興味を持つことは必要だよなと思いつつ、やっぱり自分の事でせいいっぱい。

 あとは、自分の事ばかり考えてどうしようもないとき、できるだけ自分以外のことを考えようと思った。単純な話、風が気持ちいいなとか。ご飯美味しいなとか。あの服着たいなとか。自分がどうとか他人がどうとか、どうでもいい。

 

本を買うのは読みたいからじゃない

 ごくたまに本を買うけれど、その本を読みたいから買うんじゃない。「買う」段階で大体の役割は終えている。その本を選ぶということは、自分の心理状態を見つめなおすってこと。その本が欲しいということは、その分野に関心があるということ。その本で掲げられている言葉に思想に惹かれているということ。自分が欲していることがわかれば十分なので、私は買った本はあまり読まない。そもそも本を買うときは、一度読んだことがある本であることが多いから。そんな私はもっぱら借りて読む派。

 

スマホを絶つ

 半日スマホを手放し外出していた。おかげで読書がはかどった。ちょっとした空白の時間(オーダーしたものが出来上がるまで、とか)を埋められるのは、自ずとスマホ以外のものになるから。気がつくとネットサーフィンをしたり、ゲームをしたりするからな私という人間は。

 

カメラを片手に

 写真を趣味にしたいと思ってカメラを買ったことを忘れていた。この際、暇を埋めるためにも写真を趣味にしよう。

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春ですね。商業的な花より、野生の花の方が好き。

 

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祭りの気配。ゆらゆら揺れているものも好き。風鈴とか。

 

 

穂村弘『世界音痴』

 穂村弘さんの『世界音痴』を読みました。

 

世界音痴〔文庫〕 (小学館文庫)

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怒り

 思春期という歳でもないだろうに、この歳になっても訳も分からずむしゃくしゃすることってあるんだなぁ、とふと思った。

 今日は上手くいかなかったです。

 あまりにむしゃくしゃして、朝と夜、2回も歩きました。夜なんか、恐ろしい形相で歩いていただろうなぁ。

 むしゃくしゃの理由は、わかっていることもありわからないこともあり。誰かのことがムカつく、というよりはもっと大きなことにムカついていたような気がする。日頃、感覚が麻痺しているのか死んでいるのか、よほどのことがない限りムカつくことなんてないし、怒ることもないし悲しいこともない。だけど、こうして気が抜けるときに、そのツケが一気にやってきて、へこむ。落ち込む。機嫌が悪くなる。周りに当たり散らすことはないが、機嫌は悪いので、相当負のオーラが出ている。すごく迷惑な人間だ。

 明日は、用事もないがどこかへ行こう。疲れるぐらい歩きまくって、へとへとになって、お腹を空かせて、おいしいもの食べて、さっさと寝よう。

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散歩を始める

 連休だけれど、私は家に引きこもっておりました。何をやっていたのかというと、カレーを作って食べました。じゃがいもを入れるとカレーは美味しいですな。次からは率先してじゃがいもを入れようと思いました。

 

 どこにも出かけず、私は連休初日に散歩を始めることにしました。

 3月まではジョギングをしていたのだけれど、生活が変わってジョギングをする気力と体力が無くなってしまい、まずは歩くことから。いや、違うな。外に出ることから。

 私は、一見すると非合理的な行動をしているようで、その行動の裏には、自分なりに考えて納得したロジックに従っていたりする思考活動があります。これが非合理的なのかはわからないけれど、ストレス発散と健康促進と200円くらいの電車賃を惜しむ気持から1時間かけて駅と駅の間を歩いたり。電車に乗れば数分の距離なのにね。そういうことを私はよくやります。合理的なことは、多分好きなので、散歩って苦手意識があった。合理的であることと散歩の関係性はわからないけれど、散歩の無秩序な感じがどうも苦手で。ゴールがある道のりを歩くのは苦じゃないけれど、目的がないような散歩って、一体どうすればいいのだろう。 

 まあ、私は「散歩」というものに「ストレス発散」や「健康促進」という意味を持っちゃったので、まだまだ散歩道としては甘いです(散歩を私は武道っぽさを感じている。散歩ってのはすごいことだと思っているのです)。

 とりあえず、好きな曲ばかり集めたプレイリストを作って、それを聴きながら歩くことにしました。歩きながら何かを思いつくことはよくあることなので、メモ帳アプリをダウンロードして、メモ欄を開き、何か思いついたらそこにメモをすることにします。飲み物代と、スマホとイヤホンと鍵だけを持ち、夕暮れの町を歩きます。

 

 なかなかに楽しかった。30分間youtubeの動画を意味もなく見続けるよりは、こっちのほうがよっぽどいい。30分歩いたとしても、見る動画の数が著しく減るわけでもなかろうし。

 

 習慣にできればいいなぁ。

 今日はそんなことを考えてました。

 

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身のまわり、全部ロボット

 時々、恐怖に襲われる。

 私以外の人は、一体どんな景色を見て、どんなことを考えて、何が好きで、何が不快で、日々生きているのかな、って。私には、それらが何1つわからなくて、身のまわりにいる人の頭の中には脳みそが詰まっていて、思考活動が行われているのでしょう?なんて怖いことなのだろう。

 この怖さ、ってのは「わからない」ってことに起因しているのだろうか。私が恐れていることの1つに、自分の些細な言動で誰かを傷つけていはいないだろうか、ってことがあるけれど、これ、ちゃんと考えるとしばらく立ち直れないレベルで深い沼なので、考えないようにしている。本当に怖いんですよ。考えると。傷つけたくないというか、傷つけても、それがはっきりとしたシグナルとして自分の元に返ってくるとは限らないじゃないですか。傷つけたことがわかれば、もう二度とそんなことはしないように対策もするのに、わからないうちに相手を傷つけていることもあるし…。一体他の人はどんなことを考えているのだろう。

 そういうことを知りたくて、私は本を読んでいる。人ともっとおしゃべりしないとダメだなぁ…と思うけれど、とりあえず本を読む。本には、その人が考えていることが文章として形になっていることがあるから。あとは、こうして自分の考えていることを吐き出している。同時にネットの海に吐き出された、色んな人の言葉を読んでいる。ロボットじゃなくて、人間と話そう。人間の声を聞こう、ちょっとずつね。

 そういうことを、今日は考えていました。

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ブログ名を「ベランダの実験室」へ

 旧ブログ『祝福の日々』をリニューアルしようと思っています。

 新ブログ名は『ベランダの実験室』。

 

 これまで書き溜めていたものは、カテゴリ「祝福の日々のつぶやき」にすべて映させていただきました。そちらに一括してまとめています。よろしくお願いします。

 今日は、なぜ唐突にリニューアルをしようと思ったのか、リニューアルといってもこれからどうするのか、自分への備忘録的な意味合いも込めて文章としてまとめていこうと思います。

 

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