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祝福の日々

私-好きなこと=ブログ、です。

ベランダのニモ

 ふと見上げると、ニモがベランダから「こんにちは」していた。

 「ニモ」というのは、以前ディズニー映画で主人公になったカクレクマノミの子どものことね。あの、目がくりっとしていてオレンジ色の魚のこと。

 

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 私が見たニモはベランダの物干しざおに、だらーんと垂れ下がっていた。ニモの他には誰もいなくて寂しいと言われれば寂しそうにも見えなくはないけれど、でも今日は快晴だしいい日向ぼっこになるのかもね、なーんて思いながら、ニモと目が合った2秒後には、今日は電車が遅れないといいけどねということで頭の中がいっぱいになった。

あんなに色鮮やかなタオルを、お風呂上がりのほかほかの身体に巻き付ける…ね。

 

 

キラキラした日

今日は簡単に。

玄関のドアを開けたら、思わず眩しくて目を細めた。紫外線の量なのか、光量の問題なのか。4月になって桜が散ってから、一気に世界が鮮やかになった。周りの色々なものが「濃い」。寒い頃はもっと褪せた色だったのに。

その濃さを感じられただけ、今日は良い日だったな、と思いました。

今日の世界は、キラキラしておりました。

道端で見る「信じていそうな人」の話

 毎朝毎朝、電車に揺られ、たどり着くのは一方向に向かってひたすら歩くスーツ姿の人の群れ。強烈に「○○がしたい!」という感情もなく、ただその群れに混ざって歩くことも慣れてしまった。

 同じ道を歩きながら気がつく。たまに冊子を片手で掲げながら動く群れをにこやかに見つめている人たちがいるということに。珍しい光景ではない。ずっと前から違う場所でそういう人たちはたくさん見てきたから。

 人の人生に対して、何か口を挟むだけの特別な何かが、自分にあるわけはない。人が何を信じようが、どんなことを考えてようが、基本的には関わらないという姿勢をとっているけれど、あまりにもにこやかにその人たちの顔は微笑みに包まれているから、私はついじっと見てしまうのだ。

 基本的にそうやって道端に立って冊子を掲げている人は、満ち足りてそうだ。幸せかはわからないけれど、何か足りているようなオーラがある。私も何かを信じれば満ち足りた気持ちになるのかな。でも「信じる」って意識的に行うというよりは、状態のようなものだと思うのだ。いつのまにか「そうなっている」という感じ。だから、違和感を感じている段階では私は信じていないんだろうなぁとか色々。私だって何かを信じていて、でもそれを今すぐ言語化することはできないだろうなぁ、と。私、何を信じているのだろう。 

 信じる、ね。難しい問題だこと。

悲しいとき

 今日の天気予報はくもりのち雨だった気がする。あー雨が降るんだなぁ、と認識していたのにも関わらず、私は今日傘を忘れた。結局ビニール傘を買って、帰宅。普段ビニ傘は使わないけれど、よく売られているビニ傘は無色透明である。透明だから当然、透ける。夜。電灯の灯りまで見える。案外悪くないのでは?すぐ壊れちゃうのは嫌なので、とっておきのビニール傘でも買って、これから梅雨の時期を楽しむ、ってのも風情かもしれない。

 雨と格闘しながら、Myパンプスのヒールが道路の溝にぴったりとはまって、靴が脱げる。悲しい。でもおかげできつきつのパンプスが少々伸びた気がするので結果オーライ。そういう一日でした。

 

 

 特別、でっかい出来事があったわけではないけれど、少々気分が参っている。多分ご飯をお腹いっぱい食べて、寝て、起きれば治ると思う。そう願っている。

 

 

 考えすぎ、と言われる。

 自分の事好き?と、そういえば数週間前に言われた。

 もちろん、私は私の能力を買っているよ。能力というのかな、自分のやりたいことをやって自分の見たいものを見て自分の愛でたいものを愛でている自信があるよ。だから自分の事が嫌いなわけじゃないよ。だけど、上手く生きれないことは嫌かもしれない。そして楽しくない世界を呪ってしまうときもある。割と。

 考える。いちいち色んなことに引っかかる。悲しむ。色んなことが悲しい。私の悲しいは非常に自分本位な悲しさであることは承知の上で、悲しい。自分ではどうにも出来ないことに悲しい。私でなかったらもっと上手くいくのではないかな、ということに悲しい。怒っている人を見るのが悲しい。自分の事ばっかりな人を見ても悲しい。イライラが充満している空間が嫌で、どうしてもっと上手くいかないのかな、って思うのも悲しい。色んなことが、悲しい。

 上手くいかないとき、それが自分の問題で、自分のせいで上手くいかないことについては納得がいく。自分がどうにか工夫すればいいだけのことだから。自分の気持ちを変えればいいのだから。だけど、自分ではどうにもできないこと、自分が頑張ってもどうしようもないこと、自分が頑張るよりその人がなんとかすべきことについては、もう手に負えないのだ。もちろん私ができることはした上でのことだけれど。そして、私はなんとかしようとして、あるいは、自分を守るために、ものすごく消耗するのだ。そんなの、もう、うんざりなんだ。なんで私がこんな思いをしないといけないんだ、ふざけんな馬鹿野郎、って言うのはここだけの話ね。

 勝手に怒ってろ。勝手にイライラしていろ。勝手に不幸ぶってろ。私は、私は、そんなの知らないんだから、って、身のまわりの細々としたことについて一通り考えてはムカムカしましたとさ。

 

 世の中、まるっと上手くいけば、それは幸せなのかもしれないけれど、上手くいくことばかりじゃない。私が背負えること、私ができること、それをただやっていくのみ。話はそれからだ、と思うことにしよう。

 イライラする。そういうときもある。ムカつくときだってある。それらに支配されないで。感情の支配権を他者に委ねないで。

 そんなことを考えた。

 悲しいけれど、きっとこれからもつらい思いをするし、身を削がれるような痛みに出会うと思うけれど、嘆かないで。自棄にならないでね。私。

家族って面倒くさい

 家族って、面倒くさい。

 家族だって他人に変わりはないのに、必要以上に心かき乱されるから不思議。

 「ちっ、こいつ面倒くさいな」って奴については「とことん逃げる」ってのが対処法である私だから、幸いにもこれまで人間関係で特別苦痛を強いられたことは一度もないけれど(傷つきたくないから人を避けてきて、おかげさまで友だちは少ない)「ちっ、こいつめんどくさいな」って奴が近くにいて、それが家族だったとき、一体どうしたらいいのだろう?と。

 環境がその人を作るわけで、ということはその人が生きてきた環境もあてはまるわけで、一体この人はどんな生き方をしてきたのやら、と思うのであった。

 まともに対峙するとこちらがただ一方的に消耗するので、まともに取り合わない、ってのがベストか。

 自分の荷物をきちんと背負い込む力があってはじめて、人を助けられるわけで。まずは私のことを大事に思いなさい。

 

 本当、関わりたくないって思う人から離れられないのはストレスである。

日常の歌を聴く ―星野源『季節』―

 段々と暖かくなって過ごしやすくなってきた。

 洋服をクリーニングに出したり、料理の趣味化プロジェクトと称して、休日はいつも何か1~2品ぐらい作るのでその買い出しとか、散歩とか、ジョギングとか。外にちまちま出ることが多かった休日だった。

 そんな、特に派手なことはしないけれど、というときに噛みしめるように聴くのが星野源さんの歌である。今日は『季節』『知らない』『フィルム』『未来』なんかをチョイス。こういうしっとりと落ち着いて寂しさがどことなく漂う曲が、私は大好き。

 『季節』という曲は映画『もらとりあむタマ子』の主題歌らしく(まだ映画の方は見ていない。見たい)主役のあっちゃんがミュージックビデオにちょっとだけ出ているのが、なんだか嬉しい。こういう曲を聴くと、何にもないように思える日々もそれはそれでいいものだ、と思えたりする。焦るとそういう日々が憎くなってしまうときがあるから不思議。

www.youtube.com

 散歩に聴くの、おすすめですよ。落ち着きます。

ただより高いものはない、をこの際考えてみる

 仕事上がりに、私は都会の雑踏のなかを黙々と歩く。明日は休日だし、ここ連日落ち着いてゆっくり考える時間もなかったので、気になっているカフェへ行くことにした。目的地まで、ただひたすらに歩く。気を緩めると、途端に色んなことを考えてしまいネガティブな方へ心は振れてしまうから、考えない考えない。

 と、謎の行列に出くわした。ビルの壁に沿って延びる列。なんだ金曜日の夜ってことで、人気店に色んな人が押し寄せているのか?そこまでひとを並ばせるお店とは一体なんだ?そう思って、お店の入口へ向かうと...ああ、なるほどね。今日は確かに金曜日だった。行列の正体は、アイスクリームチェーン店「サーティワンアイスクリーム」に並ぶ人たちだったのだ。

 なぜサーティーンワンにそれほど人が押し寄せるかって。ソフトバンクユーザーの人ならわかるでしょう、スーパーフライデーの企画で、ソフトバンクユーザーの人はシングルコーンが無料なのだ。ちなみにこの企画は月ごとに対象となるお店が変わるシステムで、3月はファミリーマートのチキンだった。

 私は、ファミマならなんとなく良いかなと思ってしまう。ファミマが無料だとして、でも無料でいただくのも申し訳ないような気がして、お茶とか買えるから。でも、サーティーンワンに並んだとして、代金をもらわずにアイスクリームが手に入れちゃえて、何もお金を払わずに店からでることができるってことでしょう?もうそれで私は「ダメだな」って思った。ファミマならファミチキを交換しに行くけど(加えて何か買って帰る)サーティンワンは引き換えにいけないや。

 このスーパーフライデーという企画に対してどれだけのお金が動いているのだろう?そのお金でもっと何かできないのか。「無料」というのは、何かがある。お金を支払っていないけれど、きっと何かの動きがある。「無料」ってのは嬉しいけれど、ちょっと怖い。そんなことを思った、金曜日。