潜水日記

思考の記録です。ブログの名前を変えました。

笠をかぶった人(20200118)

 いつもより2時間遅く寝て、いつもより2時間遅く起きる。休みの日はスタートが肝心です。何事も2時間遅れで進行している。いつも家を出る2時間後に家を出る。
 手袋をしない両手は、首から提げる一眼レフをぎゅっと握り、電車の中でやっと解けたときには寒さでかじかんで指の先がキーンと熱い。血液が一気に指の先端に集まっている様な感覚。普段より細部に注目しようとする心の働き。それが私の休日。
 借りている本と手持ちの本、平置きされた本、並べられた本の合間をぱたぱた歩いて、私は結局今日のお供の本を見つけられなかった。どの本を読むにもピンとこない。仕方ない。どうしようもないときは出先で調達しよう。買いたかった本もあるにはあるからそれを買ってもいい。「旅」の本は、いつも読む本とは違う。内省を支えてくれる本。本の外と中、スムーズに出入りできなければならない。なかなか難しいのだ。
腰と背中が痛い。ストレッチをしたいということに家を出てから気づく。今日一日、耐えられるだろうか。

 

笠をかぶった人

 牡丹を観に行く。

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 観に行ってあれなのだけど、牡丹か椿なら椿の方が好きなのではないか?ということになった。椿の方が艶やかで色っぽいイメージがあるのだが、いかが。しかし何だろう、笠をかぶった牡丹はまるで人間みたいで、それ以降は人の生首が土にでんと座っているようにしか見えなかった。そういう描写をかつて小説で読んだことがあるのだ。みんなこちらを見ている。

 

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 これは三姉妹で、真ん中が長女。向かって左が次女、右が三女。

 

休日歩くとき

 休みの日に歩くときは、ゆっくり歩くようにしている。私はこの休みの日を、楽しんでいる。

 

麻婆豆腐定食

 を食べる。中華料理屋の定食はご飯にメイン、サラダに漬物、杏仁豆腐と一食でたくさん小鉢がついてきて嬉しい。もちろん日本の定食もそうなのだけれど、日本の定食屋さん、良いところがなかなか見つけられていないし、中華料理の味が好きなのだ。油の気配。今はまだ食べられる。

 本格四川料理と銘打っているだけあって、山椒がかなり効いている。辛い食べ物は人並みに平気である自信があったけれど、少し揺らぐ。この麻婆豆腐、とても辛い。辛さは刺激であり痛みであることを思い知る。でも美味しい。

 

牛肉コロッケ

 揚げたてだという言葉に吸い寄せられコロッケを買う。162円。ほくほくとしたジャガイモの甘さと牛肉の脂。美味しい。

 

 

 

 一転翌日は反動のように床から起き上がることができない。要因は色々あるだろうし、そもそも80パーセントの休日はそんな風に過ごしているような気もする。外に出ると自ずと内省的であらざるを得ない。家にいたくない。家にいたら、きっと私は何もしない。

なにもない(20200114)

もう落ち込まないのだ。

落ち込むとしたら未知のことに対してだけ。今まで落ち込んできたことに関しては、もう穴に落ちないぞー、という確かな気持ち。タオルケットを裸足でなぞりながらこれを書いています。ライナスの毛布ならぬ、私のタオルケット。タオルケットは昔から大好きだった。お日様の下で広げると太陽の匂いがして、私はきまって数日間は不機嫌だった。お日様の匂いがはやくとれればいいのに、と思う子ども。

なにもない、なにもない、なにもない。と、さっきから思っているのだけど、それは「なにもない」ではなく「なにもつかめない」ではないか。掴むために私はこんな風に書いているのに、書いても書いてもさっぱり掴めない。そもそも書けない日まであるのだから、ますますなにもない。感覚に対する不信感。リアリティの欠如。不安。底がない。底がない穴ばかりの道を、いかにして歩いていくか、ということが問題です。

足の甲でタオルケットを撫でる。私の体温で温い。境界線は確かで、糸か細胞か、違いがそこにある。現実に足の甲が触れている。

 

マグロの皮(20200113)

 マグロの中落ちが夕食だったので、スプーンでごしごし赤身を掬い取ってはボウルに移す。指から伝わる熱ですぐに脂がとろけてしまい、最初は「美味しそうだな」と思ってウキウキしていたのだが、脂でまな板がてろてろになってくるとうんざりしてくるのだから人間とは勝手なものです。きちんと美味しくいただきました。脂でこってりしそうだからと切った薬味のねぎをのせ忘れたことに今気がついた。

 ごっそりと赤身をこそげおとした側面の反対側は黒々とした皮?らしきものであって、こぶしをつくってコツコツ叩くと固い固い音がした。プラスチックみたいだ。マグロ、かっこいいなぁと思った。マグロ。マグロ。

お出かけ(20200112)

 出かける。

 鬱々とした時ほど外に出かけた方がいい、というのはここ数年の過ごし方及び精神状況とを照らし合わせた結果得た結論であり、学習する(本当かい?)私はちゃんと出かけることにした。外に出かけて疲れることはあれど鬱々が悪化することは実は無い。

 

 餃子定食が食べたかったので、餃子を食べた。

 私は自分で作る餃子をホットプレートで大量に焼いてふうふう冷ましながら食べる餃子が一番美味しいと信じているけれど、何はともあれ餃子は好きな食べ物で、餃子とご飯を交互に食べたいなぁ…と思ったのだった。これを書きながら家で作ることもできたな…と気づき少しばかり後悔はしているけれど、もしかしたら明日も餃子を食べるかもしれない。白菜(もしくはキャベツ)、もし安かったらニラも入れたい。市販の餃子の皮、タレ(タレは無くても構わない。なんとかなる)生姜とニンニク(これは欠かせない)そして適当な種類のひき肉。これを捏ねて捏ねて包むだけ。適当に焼き適当に好きなだけ食べる餃子は本当に美味しい。

 何の話だった?餃子定食を食べたという話だ。辣油が美味しかった。一口目から順に、何もつけない、酢に胡椒を入れたもの、醤油、そこに辣油を入れたもの、と味を変えつつ食べて、最後の辣油入りが一番グッときた。満足です。

 

 一眼レフでシャカシャカ写真を撮る。カシャというシャッター音が楽しい、という割と原始的な感覚が蘇る。あんまりいい写真は撮れなかった。けど、いいの。

 

 書店に立ち寄る。30分後すごすごと来た道を戻る。本屋さんに行く時、私はある種の救いを求めて行くわけなのだけど(書店からしたら「ちょっとあなた、勝手になんなんですか」って感じだと思う)自分としては本当に泣きそうになりながら本屋に行くこともあるわけだ。ここでならもしかしたら何かあるかもしれない、満たされない空白を埋めてくれる何かが、みたいな感じだ。でも普段は図書館で本を調達するスタイルなのだから、本屋さんに行っていきなりパッと本を掴んで買うことなんてできないのだ。それこそバンジージャンプに挑む時に(飛んだことないけど)「えいや!」と気合を入れて飛び込むように、「えいや!」しないと新しい本なんて買えないのです。ということで買えませんでした。シクシク。またもや何もない状態で休日、人でごった返す街を徘徊せねばならんのです。そういえば書店は昔から「本屋さん」と呼ぶと決まっているのです。敬意と親しみを込めて。

 

 割と最近出来たショッピング施設に行く。人がたくさんいてエスカレーターの列が途切れず、私を含め人々は上へ上へとあがる。上にいったい何があるんだ?結果的には大したものは何もなかった。同じく列の絶えない下りエスカレーターに目をやると、紙袋を持った人はそんなにいなかったから、その多くはウィンドウショッピングだったのでは?と思ったりもするのだけど、たくさんの人がよくわからないまま上へ上へとあがっていく機構が気に入って、もう少し落ち着いたらまた来ようと思いました。上へ上へとあがり私はブランドもののバッグではなく青いカワセミのイラストが可愛いノートを買いました。(このノートを日記帳として使う日はいつになるでしょう。予約待ちのノートが少なくとも3冊はあるというのに!)エスカレーターで地上に降りるのはやきもきしそうだったので、てかてか階段でおりました。11階くらい。幸い、まだ階段を容易に下りることができる肉体を持つからでありますが、同時に階段を下りるのは怖いことなので手すりにつかまりながら。多分身体の動くままに下りるのがスムーズだろうに「今右足を前に出してるっけ?」とか考えるからぎこちなくなってしまう。

 

 ファーマーズマーケットらしきテントがたくさんあって、そこの一角でドネーションをしていた。お気持ちの額をガラスの容器に入れて、その対価としてスープ一杯が飲める。集まった金額はオーストラリアの火災被害の支援に充てられるとかで。私は普段街中ではあしなが募金以外は募金はしないようにしていて、ちゃんとした団体が行っている募金活動しかしない。けれどオーストラリアの火災は最近心配な出来事であるわけで不意打ちに近い形で出会ってしまったものだから、大した金額ではないけどお金を入れてスープを受け取った。そのスープは色々な野菜がゴロゴロ入っていて具沢山。多分それら野菜の甘みとベーコンの塩気が沁みだした優しい味のスープに、ほろっときてしまった。美味しい。行動を起こせる人がすごいなぁと、こんな時思うのだけど(私はとても受け身だから)受け身なら受け身なりに、動けたらいいなぁと思う。

 

 帰り道、CDと本を買い忘れたことに気づく。少しは気が晴れたかな、と思う。

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謎の構造物

 

ある夕暮れの今日(20200110)

江國香織『泳ぐのに、安全でも適切でもありません』ハードカバーの方をなんと80円で手に入れてしまい、それと必要な細々としたものをリュックに入れて(とても機能的で素晴らしいリュック)私は外に飛び出した。私ってば「外に飛び出した」という日記の始め方が好き。そうなの。好きなの。

栞の紐の加減や出版社が発行しているチラシがページに挟み込まれているのを見る限り、これを売った人は一度も読まずこの本を売りに出したのではないか?という気がする。古本に対する抵抗感は無いにしても、ほぼ新品(眉を顰めるとすれば、値札がわりのシールがべっとりと貼り付いていることくらい。これはなかなか綺麗に剥がせないのだ)の本を80円で手にしてしまった喜びと罪悪感を同時に感じて複雑だ。

帰り。夕日が車窓から差し込み車内全体がどことなく茜色がかる夕暮れの光景は、とても綺麗だと思う。私は江國香織の単行本を鞄に忍ばせている。ある種のお守りのように。雑念に溺れるそうになると、その本が手を引っ張ってくれそうな、そんな気がして。

何も買わないし何も撮らないお出かけだったけれど、夕暮れの中にあることができただけで素晴らしい今日だった。

ジャグジー(20190104)

 バグダッド空港でイラン司令官がアメリカの空爆によって命を落としたその何十時間後に、私は東の島国で一人ジャグジーを満喫していた。その体を包み込む湯の温かさやぶくぶくと絶え間なく湧き続ける泡は、きっと化石燃料失くしては成り立たないのだろうなと思ったらなんとも複雑な気持ちになって、正直なことを言うと人間やめたいなとも思ったりする。やめたいな、と思うだけで、ふてぶてしく私は明日も生きるわけなので、せめてコンビニのレジのお姉さんにはにこやかでありたい、と思ったわけだけど、それは以前もどこかで書いた気がする。新聞の記事を切り抜いて、ノートに貼って、マーカーを引いてわからないことは調べよう、と思った。まずはそれからだ。

方針(20200103)

 何者かになることに疲れた、というか飽いた。ようやく私生きていけるかもしれない2020。そんな気がするような、しないような。きっとそのうちガクッと落ち込むのだろうな…それもわかっただけ進歩というか伊達に落ち込んできてないよ、って感じがする。

 以前読んでとても好きになった記事があった。その在りかを忘れてしまってものすごく悲しいのだけれど、「孤独とは」というような内容だった。その中でよく覚えているのは、「とにかく孤独であれ」と。孤独のままとにかく足掻けと。で、30歳くらいしたらもしかしたら楽になっているかもしれないよ、もしかしたらね、みたいな内容だった、と思う。とにかく私の中では「30歳くらい」という数字が印象的で、「オッケーそのくらいまで足掻いてみるわ」と思ってここまで生きてきた。

 

 2019年。劇的な何かがあったわけではない。けれど、なんというか、ふっと肩の力が抜けたというか、地を固められたというか、そういう気がするのだった。

 一つ目はちょこちょこと出かけたこと。「写真を撮る」という名のもとに意識的に外に出かけた。結果、家に籠るより刺激的で楽しいことを知った(単なる散歩でもそれなりに発見があって楽しめてしまうのは私の素敵な資質のうちの一つだ)

 二つ目は知人の結婚式に相次いで出席したこと。かねてから「結婚」ということがよくわかっていなかったし、結婚式を挙げようと思ったことがなかったし、それは結婚式に出席しても考えがまったく変わらなかったのだけれど、では何が意味深かったのか。他人は勝手に幸せになっていくということ。他人には他人の道理があり、信念があるということ。それらは尊重されるべきものだし、共有してなくても私たちは今まで関わることはできていたということ!驚き!慎重に慎重に、深く息を吸い込み吐き出して生きていかないと、私は私以外の人間をまるでロボットのように捉えてしまいそう。私以外の人も私のように、私以外のように、何かを考え生きているなんて!(この感覚は今に始まったことではないけれど、再び)そんなわからない中でも生きていけたんだ。大丈夫だろう、という謎の自信が生まれた。

 

 私には未来予想図が無い。他の人にはあるみたいなのだけれど(もちろん無い人もいるだろう)本当に何も無くて、笑っちゃうくらい不安になる。これまでも幾度となく不安になり、泣きたくなった。実際に泣いたこともあったかな。忘れた。とにかくこれからも多分そんな夜はやってくるだろう。私は未来予想図をどうも描かないで生きていくらしいから(思えば卒業文集の「将来の夢」も抽象的なことしか書けなかった)。でもその不安を制御しながら生きていかねばならない。ある種の病とうまく付き合っていくように。その不安を和らげるのは多分「ダチョウが可愛いなぁと思うこと」とか(2019年はたくさん動物園に行きましたね)「本をじっくり読むこと」とか、「体を動かしてすっきりする」とか、そういう手近で得られた実感なのだと思う。そうして体を動かし五感をフル稼働し脳みそでそれらを咀嚼することを、私は「深く深く潜ること」と形容しているし、それが未来予想図を持つことができない今の私にできる唯一と言っていいことだった。

 

 ということで、今後の方針としては「外交戦略を日々思案し試行錯誤する」と「深く潜りきちんと持って帰ること」ではないか。とにかく理想家だからな、私。色々自分の中であーだこーだできるためにも、外面を良くすること!実務能力皆無!では現実的に生きていけなくなるので、実務能力を磨く。そして勉強すること。勉強するのは楽しいので。

 

 こんなことを考えておりました。ゆるゆる生きていきたいです。