ベランダの実験室

思考の記録です。

ビニール傘(20180920)

ビニール傘が好きだ。

理由は2つある。

まずは馴染み深いこと。

私は天気予報を見ないかつ折りたたみ傘を持ち歩かないので、雨に濡れる確率が他の人より高い。ほどほどの雨なら傘を買わないで済ますのだけれど、ザーザー降りなら仕方なく傘を買う。手ごろなコンビニのビニール傘を。困ったときにササッと買ってしまうビニール傘が、私は好きだ。

2つ目。ビニール傘は雨粒が見やすい。透明な傘の部分についた雨のしずく。その水滴を通して見えるぼやけた街並み。それを見るのが好きだ。ビニール傘は、透明だから良い。

そのうち、とっておきのビニール傘を買おう。コンビニの傘もいいけれど、雨の中長靴を履いてルンルンと散歩したくなるような、素敵なビニール傘を買おう。

 

秋雨前線の影響なのか、天気がぐずつく9月のある日に思う素敵な思いつき。

鰻と菜食(20180919)

これは夏の記録である。

 

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もう私は鰻を食べないぞ。心に誓う夏であった。

今年の7月20日は土用の丑の日であった。もはや土用の丑の日とはどんな日か理解しないまま、私の中では鰻を食す日として脳内に刻み込まれている土用の丑の日

が、今年は少し違う。もう鰻を食べるのはやめようではないか、と思うようになったからだ。

もしかするとウナギは絶滅してしまうかもしれない。

鰻は高い。

ウナギはどんどん獲れなくなっている。

ウナギは完全養殖の生き物ではない。

ウナギの生態はまだわかっていない。

つまり、よくわからない。

だけれど、私たちは食べている。よくわからない土用の丑の日、というだけで。

 

とりあえずよくわからないけれどウナギは絶滅危惧種らしい。それならばもう少しウナギという資源について考えません?が、筋だと思うのだけれど、実態はそうなっていない。土用の丑の日も有名なチェーン店がこぞって鰻を販売していた。それを買っている人もたくさんいた。2014年に絶滅危惧種に指定されているものの、私がウナギヤバいと思ったのは2018年なのだから、私も同じ穴のムジナである。

 

保全については議論が進むことを願うとして、私は別のことを書きたい。

 

もう鰻は食べないぞ。そう心に誓った2018夏、であった。何故ならウナギは個体数が減っているようだし何が何でも鰻を食べたいほど鰻に執着はないからだ。

そしてある日私はへとへとになりながら帰宅する。今週もお疲れ様という気持ちで。その日の夕食は鰻だった。

 

ありがたい話だ。本当に。鰻は値段が高騰しているにも関わらず食卓に鰻が出るのだもの。それを愛情と言わずして何という。

しかし、素直に喜べない自分がいる。もう鰻は食べないと決めたからだ。

結果的には鰻を私は食べた。何故ならもう目の前の皿に盛り付けられた鰻は命を失い、調理され、つややかなタレを纏い、かば焼き状態だったからだ。私が今この鰻を食べなくてもこの鰻の失われた命は戻らない。それならば、おいしくいただくのみ。事実、久々に食べる鰻はおいしかった。身はほわほわでとろとろと口の中で崩れ、それを甘いタレでいただく。この触感は鰻以外にはなかなか再現できないものだ(と思う)。食べきった。食欲は最後まで湧かなかったけれど。

 

さりげなく、私はかぞくに言ってみる。「次からは鰻をやめない?」と。絶滅しそうだし他に栄養の付く食べ物を食べればいいじゃない、力うどんとかどう?「う」のつく食べ物だし。

却下された。

相手はよくわかんないことを言っていて、私はさらりと否定されたことにショックだったのと、何より「自分たちさえよければいい」という考えが透けて見えて、それは他人事じゃなくきっと私の中にもあるもので、だからショックだった。すごく、悲しかった。

 

そして私は、これを書いている今日も鰻を食べた。

日中、親戚がやってきて鰻を食べたいと言ったからだ。流石に鰻以外のメニューもあるだろうと思っていたら都合で鰻しか取り扱いがなく、私は今日も鰻を食べることになった。

悲しかった。もう食べないと思っていたものを食べていることが、こんなにも悲しいことなのかと思った。

「嫌い」「苦手」そういうものを嫌々食べているのとはまた違う感覚。

「食べたくない」「食べないと決めている」ものを食べる罪悪感。目の前のおいしいはずの料理に集中することができない状態。他の人はおいしいと言って食べている状態。私はおいしいと思えない状態。おいしいけれど、おいしいと思っていいのかわからない状態。すごく、苦しい。

結局最後まで食べることができず、他にあげた。その人はおいしそうに食べていた。

 

その後も親戚行事はあったのだけれど、私は一人その場を後にした。

電車に乗りながら考えていた。

今まで「宗教的」「思想的」に特定のものを食べない人たちが存在することは知っていて、それは個人の自由で尊重されるべきものだ、という考えだった。今も変わらない。その上で「食べてはいけないもの」を食べるということは、きっと私が想像している以上の何かがあるのだろうと思うことができた。

もしかしたら、そこまで深刻ではないのかもしれない。個人によっては宗教で禁じられていても肉を食べていたりするのかも。

 

食べたくない、ってあるのだな。それは我儘とはまた違う、個人の生き方につながることもあり。誰かの「食べたくない」を尊重できる人間になろう、とふと思った。

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これは、この夏のある日の文章。

 

ごちゃごちゃな頭の中(20180918)

昔から常に何かを考えている人間だった。

と言いつつ頭が良いわけでもなく、その頭の中に一体何を詰めているんだい?と自分に問いただしたい、そういう人間だった。

 

最近、きちんと起きるようになった。つまりきちんと眠れるようになったということだ。意識的に早く寝るようにしているし早く起きるようにしている。

今まで「忙しいから」とおざなりにしていたことを、一つずつおざなりにしないと決めた。何故ならいつまで経っても忙しいままだからだ。これが働くということみたい。

 

きちんと起きてきちんと寝るようになったことで、考える時間が増えた。メモ書きでもいいから書く時間が増えた。なんてことないことを考え、思い付き、わくわくするようになった。昔よりも。

その結果、今、頭がパンクしそうである。

今日考えていたこと。

朝ごはんを優雅に食べたい。そうだ有給を使うからその日にどこかホテルの朝食を食べに行こう優雅に優雅に。ボールペンの赤インクがそろそろなくなる。早く買わないと。にしてもジェットストリーム(注:安価で書き味が素晴らしい魔法のようなボールペン)の芯はコンビニにも売ってたはず。本当に素晴らしいことだ。ありがや。ピアスが欲しい。定期券をそろそろ買わないといけなかったか。習慣を決めたい。まずは体重を毎日測ること。ゆっくりご飯を食べること。最近走り始めたけれど早く走るより長く走ったほうがカロリーの消費量は大きい。おぼえておこう。今年は既に多くの著名人が亡くなられている。おなかがすいた。

とか、色々。

これらはきちんとメモに残しているから思い出すことができている。私は本当に3秒後には忘れる人間なので、逐一メモをしなければいけないのだ。

 

そして感情もジェットコースターのようにアップダウンが激しい。こんな風で果たして生きていけるのか、というぐらい、疲れる。

 

頭がパンクしそう。吐き出して吐き出して吐き出さないと、頭がおかしくなりそう。

ブランコ

ブランコを漕ぐのが好きだ。

夜の公園で、キコキコと一人ブランコを漕ぐ。

 

最初にブランコに乗ったときはいつだったのだろう。その時の記憶は存在しない。

ブランコというのは難しい乗り物で、前後に揺れるためには自分で勢いをつけねばなるまい(誰かに背中を押してもらうという手もあるけれど、いずれは一人で漕げるようになるものだ)。

私はどうやってこの難しい遊具を乗りこなせるようになったのだろう。いつのまにブランコに乗れるようになったのだろう。前に揺れる時は足を伸ばし、後ろにグッと下がる時に膝を曲げて足を折りたたむ。また前に揺れる時には足を伸ばす。複雑な動きだ。

 

ブランコを漕ぐのが好きだ。

段々と揺れ幅が大きくなると、恐怖心が湧いてくるのも魅力的だ。ブランコに乗って「潮時」という概念の覚えた。これ以上漕いではダメだという限界点。

 

いつまでもブランコに乗れる人間でありたいものだ。一人でも。一人だからこそ。

飲み会 vol.2

「今日はありがとうございました〜」「ごちそう様でした、美味しかったです〜」と笑う。そして笑みを浮かべながら、赤ら顔で大きな声で会話が弾む集団に背を向ける。乗り換えの駅で一人下車するこの瞬間が、私は好きだ。

ニコニコと笑みが張り付いた顔を瞬時に真顔に引き戻すその瞬間。解放されたことへの安堵と、早く自分の好きなことでこの数時間の記憶を上塗りしなければという義務感に駆られるこの瞬間は、甘美といえばそうなのか。

飲み会が私はそれほど好きではない。

目の前に並ぶ大皿の料理。私が独り占めしたい。思いっきり行儀悪く、タレに白米を絡めて食べたい。

 

いつまでこの不毛な文化は続くのだろう。そう考えてしまう。

 

飲み会が嫌いなのではなく、あの人達と飲むのが好きではないのだ。それを忘れてはならない。

アイドルと勝負

アイドルを追っかけているのが好きだ。ライブにはあまり行かない。グッズもあまり買わない。でも音楽とパフォーマンスが大好きだ。舞台の上でキラキラと輝くアイドルを見ているとidolという文字の通り、なんだろうな、消費しているなという気分になる。

アイドルは物語だ。生き方、スタイルの宝庫であり、その中から自分の人生上で親近感を覚えるスタイルを選択すればいい。本を読むことと映画を見ることとアニメを見ることと、アイドルを追っかけるのは私の中では同じ線に並んでいる。

 

それはさておき。

ここ数年で、私より若い人たちがアイドルとしてデビューすることが多くなってきた。

カップ麺を食べられなくなったことと同じように、私はそこに自分が老いている事実を実感する。

 

スポットライトは私には当たらない。

悔しいと思うか。

どうだろう。実を言うと負けたくなかったりする。キラキラと輝くアイドル達に。私も。自分の半径5mで輝ける人間でありたい。

 

素敵に歳をとりたい。

青の写真

写真は特別に好きなわけではないけれど、自分の中で「良い写真だ!!!」と思える写真は撮りたいという欲求があるので(つまり写真は上手に撮りたい)、ぼちぼち写真のトレーニングをしていこうと思う。飽きるかもしれないけれど。

といっても、何を撮りたいのかわからないのでしばらくは「テーマカラー」を決めてその色を撮るというやり方をしたい。ちなみにウォーターマークも入れてみました。フリーソフトで簡単にできました。

 

今回は「青」で。もっといい対象物があったのだろうけれど、疲れてあまり撮れませんでした。

 

自販機。斜めってしまった。

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九十九島、なるものが気になる。

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多分、一度誰かが貼ってしまうと収拾がつかなくなるパターン。

こういうごちゃごちゃ感は私は好きだけれど。

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看板を改めて撮る機会なんてないですからね…結構愛くるしい姿しているんですね。看板って。

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青の写真。