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祝福の日々

私-好きなこと=ブログ、です。

話の作法

やらない方がいいと思ったこと

 森友学園がらみで国会での参考人招致が行われている。話題になっている参考人招致ではなくて、与野党同士の質疑応答を一部だけ、たまたま見る。

 追求する方の「結局そういうことなんでしょう?」という道筋と、追求される側の「断固としてそんな事実はありえない」という事実を認めないようにする回答の仕方と。どちらかが正しいというよりは、単純に相手に負けたくないがための議論だよなぁこれって、ま、仮に事実だとしても与党は認めたくないし、野党は事実じゃなかろうが一気に攻め込みたいところなのだろう、などなど、10分くらいですぐに疲れた。そんなんじゃ政治家の思う壺かもしれない(政治家の人はそう言うこと思っていないかもしれないし、市民の政治に対する関心が下がるのは嬉しく思っているかもしれない。それはわからない)。

 相手を打ち負かすこと。自分が言いたいことだけを主張すること。他の人の意見は退けること。実際、自分の事ばかり喋るのは、私は楽しかったりする。だけど、自説を強調し続ける人は、なんだか強引で、どんなにその人の意見が素晴らしくもっともだとしても、耳に届く前に拒否反応を起こしちゃうものだなぁ...と、国会での答弁を見ながら感じた。

 意見を聞くつもりがない人は、単純にムカつく感じるらしい。ムカつく感じるのは、、、、誠意がないから、かな。目の前のしゃべっている人への敬意がないから、かしら。

 正しく清らかであることは素晴らしいけれど、人の意見を聴けるってこともだいぶ大事だし、そういう人は大したこと言ってなくても素敵だなぁ~って思えてしまうかも(それはそれで問題かもしれんけど)。

 

 きちんと相手の話を聴ける人になろう。以上。

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24時は眠い

やらない方がいいと思ったこと

 忘れないようにメモっておこう。

 24時は眠いです。

 

 いつもはもう少し早く寝ているのだけど、気が緩んでくるとネットサーフィンが止まらず、平気で24時過ぎに寝るような事態になる。スクリーンのブルーライトもたっぷり浴びているせいか、寝つきも悪いし寝覚めも悪い。それだけで1日のパフォーマンスに影響はないと思うけれど、単純に寝覚めが悪いのは不快である。

 ということで、ちゃんと寝ること。ちゃんと起きることよりも、ちゃんと早めに寝る方が大事。できればスマホにどっぷりと浸からないで。本でも読んで布団にもぐって。

 

 24時に寝るのは眠い。しんどい。

卒業式に出たくない件について

つぶやき

 私は、卒業式に出たくない。

 ということで、私は卒業式に出ないつもりでいる。なんだかんだで書類や証書は受け取らねばならないと思うので会場には行くだろうが、出ないと思う。服装についても日程は近いのに何も準備をしていない。

 

 卒業式に出たくない理由は、私の意地だ。

 だって、一緒に写真を撮ったり(そもそも私は自分を含めて誰かと写真を撮りたいなんて思わない人間なのだ)言葉を交わしたり別れを惜しんだりする人なんて誰もいないのだもの。だから私は卒業式に行かない。ただ、指導などでお世話になった人は数人思い浮かべられるのだけど…色々あったし迷惑かけたし祝福されるべき卒業ではないだろうから、会うのがとっても気まずい。だから、私は卒業式に行きたくない。

 

 思えば、乗り気ではないイベント事など、今までもたくさんあった。修学旅行も同級生と一緒に行くのが嫌で、私だけならいくらでも一人でどこにでも行くのに、なぜ他の人と回らないといけないのかそれが息苦しくて、苦手だった。休めるものなら休みたかった。「休む」という選択肢など、当時は存在しなかったのだけど。

 

 そりゃ、誰かときちんとコミュニケーションを取ることができる人間はすごいよ。立派だし偉いし、そういう風になったほうがいいってわかっている。でも、誰かとちゃんと仲良くなるべきだ、「○○するべきなんだ」なんて思ってしまうと、私がしんどいこの状態はなんなのだ、それっていけないことなのか、ってなんだかつらくなるのだ。

 

 きちんと服装を整えて卒業式に出るべきだ。誰とも話す事がなくても、そういう人がいなくても行くべきだ。お世話になった人がいるなら、加えて迷惑もかけたのなら、私は行くべきだ。だけど、私は行きたくないんだ。何か熱いものがぐっと喉の奥からこみ上げてくるくらい、私はそのことについて考えたくないんだ。

 

 ということで、私は今も迷っている。会場には行く。だけど、式には出ないかな。

 

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浜離宮恩賜公園(汐留付近)にて。まったく、こんなに世界は綺麗なのにな。それだけ楽しむのじゃダメなのか。

【散策日記】大手町を歩く

散策日記

 東京・大手町を歩いた。

 

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 皇居の方から東京駅方面へ歩くことにする。

 堀のまわりでは、色とりどりのランナーが思い思いのスピードで走ったり歩いたりしている。ランナーの人の服装は、割と派手な色づかいものも多く、見ていて飽きない。何より老若男女、色んな人がサーっと駆け抜けていってしまう姿は、いつ見ても憧れるものだ。

 皇居周辺の空が開けていたのとはうってかわって、東京駅の方へ足を進めると、どでかく高いビルに囲まれてしまう。空の広さが一気に変わるのだ。あまりにも建物が大きく高いものだから、この付近を歩くと私は自然の上の方を向いてしまうのだった。

 大手町近辺はビジネス街、という認識なのだけど、観光客らしき人の姿もちらほら。人通りは休日にも関わらず多い。あとは、就活生と思しきスーツを着た若者もちらほら。頑張れ。私はエールを送りつつ、色々なことを考えて俯いてしまうけど。

 大手町。

 こういうところでヒールをかつかつ言わせながら、バリバリ働いてみたい気もする。そういう人生に憧れなかった、とは言わない。だけど、色んなことがあるし、実際にあったし、色んな道があるってことも知っている。何を自分が大切にしたいのか、何に価値を置くのか、ってことは考えておいて損は無いよな、ということを考えながら歩く。ヒールかつかつの人生も良し。毎週アニメを楽しみにするのも良し。お散歩が楽しみでもいいし、ガッツリ働いて、一日の最後に布団にもぐりこむ瞬間が最も幸せ、ってのも、良しとしよう。

 平日の大手町もきっと違う様相なのだろうけれど、休日の大手町はそれはそれで面白い場所かもな、なんて思った。

 そんな大手町散歩。

このブログについて

自己紹介

 このブログについて最近考えている。一体私は何がしたいんだ。どうしたいんだ。何を書きたいんだ。テーマは何だ。

 

 書いてきたものをいくつか読んでみる。なんだ面白いじゃん。って自分で書いたものなのだから自分が読めるってのは当たり前か。にしても、過去の文章はどれも、「こういう文章は、内容は書けないよう…」ということばかりだ。時は不可逆なり。その時の、その想いは、過去に抱いたものと同じようで実は少し違うのかもしれない。この文章も、きっと未来でもう一度書くことはできないんじゃないかな、って気がする。同じ表現で、同じアプローチの仕方では少なくとも出来ない気がする。

 

 文章を書くことが特別好きなわけではないような気がする。絵も描けないし、音楽も奏でられないし、写真も技術が無いし、歌が上手いわけでもないし、喋りが上手なわけでもない。でも、自分が感じていること、考えていること、思っていることを時々抑え込むことができないような気がして、そういうとき私は文章を書いている。それが唯一の方法だからだ。

 ブログにする必要があるのか、それにどんな意味があるのか、何がしたいのか。…わからない。抑えきれなくて、それを自分一人で持て余しているのがしんどくて、私はこの場所で書いている、多分ね。

 で、もっともっと書いてみたいのだ。自分の中の激情を、ああ世界って綺麗なんだ残酷なんだ面白いんだつまらないんだ、そういうことをもっと上手に書いてみたいのだ。趣味:文章を書くこと(注:わかりやすいわけではない)だな、これは。

 

 本当つまらない人間だこと。が、仕方があるまい。それが私であって、良さと言えば良さになるのだろうから。

 

 ということで、今後はもう少し更新頻度あげたいと思います。以上。

人はみんな考えている

つぶやき

 ということが、未だに自分の中で消化できていない気がする、今日この頃。

 なんだ、例えば渋谷のハチ公前のスクランブル交差点で目的地に向かって四方八方からやってきてどこかへ立ち去る人、人、人、のすべてに「思考」があるのだ、って?…信じられない。人それぞれに人生があり、苦難があり、好いていたり嫌っている人がいて、食べたいものがあったり欲しいものがあったり将来について考えていたり過去について後悔していたり。そういう「思考」という名の脳内活動が行われているんでしょう?信じられますか、奥さん。

 そういう感じなのだ。

 いや、頭では理解をしている。人はロボットじゃないこと。生きているということ。感情があるということ。痛みを感じることができるということ。悲しいこともつらいこともあるということ。わかっている。わかっている、はずなのに。実際誰かと空間を共にし、言葉を交わし、意志のやりとりをしていると、そういう理解は吹っ飛んでいく。もう忘れているというか、どこかに飛んでいるとしか言いようがない。無意識に心得ていればいいのだけど、そうでないと、私は相当社会的にマズイ人間なような気がする。大丈夫かな。

 

 「人は考えている」

 これが「恐怖」でなくて何だろう、と思うのだ。

 私は目の前のあなたが何を考えているのかさっぱりわからない。わからないからとっても不安になる。不安になるからせめて私は正直でいようとする。良い人であろうと心がける(この時点で私は正直ではない)。害がない様に頑張る。で、疲れる。

 人は思考する生き物である。私にはそれが怖い。めちゃくちゃ怖い。他人の頭をスキャニングして、一体どんなことを考えているのか、どんな風に世界を見ているのか、本当に知りたい。本当に考えているのか知りたい。

 

 私は本を読むけれど、最初はよく感心していた。物語の登場人物たちはこんなにややこしいことを考えているのか、って。自分はそこまで言葉にできていないなぁ、すごいなぁ、って。それ以来ちゃんと言葉にできるくらいまで考えるようにしているのだけど、肝心の他者の前ではそんなのすっ飛んでしまうから悲しい。なんでみんな色んなこと考えられるわけ?

 

 人の思考が気になるから、実はブログを読むのが好き。感想文も好きだし、ちゃんと話を聞くのも好き。いいからあなたの考えを教えて?もっと聞きたいという気分になる。

 だけど、思うのだ。人間はそこまで正直じゃないって。それが悪いことなのではなくて、どうしても守りたいもの隠したいものがあって、当然のようにそれは言わない。私も言わない。表現をぼやかしたりするもの。問題は、私の場合秘められたものに対する意識が甘いってことだ。なんというか、裏を読むのが苦手というか。そんな自己分析をしている。表面ばかり受け取ってしまう。表面だけで推理してしまう。考えすぎて空回りしまくる。人づきあい、苦手。

 

 他者を前にして、もう少し落ち着きたい。あわあわしたくない。ゆっくりゆっくりしていたい。裏で何を考えているのかよくわからないのだけど、私はどうすればいいのだろう。

私は机の中にJINSのPC眼鏡を忘れていた

つぶやき

 最近ショックなことがありまして…。

 タイトルの通り「机の引き出しの中にJINSのPC眼鏡を入れたまま忘れていた」ことに気がついたのです。大したことがないですね。間違いなく。大したことがないのだけど、自分的にはじわじわとくる衝撃。ちょっと悲しかったな。

 

 順を追って説明すると、確かに以前度付きの眼鏡とPC用の眼鏡を買った気がするのです。確か度付きの眼鏡のフレームが歪んでしまって買い替えたのではなかったかな。複数眼鏡を買うとお得みたいだったので、PC用の眼鏡もそのとき買ったのだった。

 ただ整理整頓がとても苦手なので、よく使う引き出しの中にえいやっと入れたまま、PC眼鏡の存在を忘れていたようです。そういうことは、ままある。PC眼鏡だけでなく。だからこそ、色んなものに埋もれてしまって存在を忘れてしまった、ということであるようです。見えないと人は認識しないのです。忘れてしまう。

 

 机を整理整頓していたときに、PC眼鏡が数カ月ぶりに出てきて。ちょうど「PC眼鏡買おうかな」と思っていた頃合いだったので、違うものを買わずに済んで良かったのだけど、自分が何を持っているのか、自分が何を買ったのか、それらを把握できていないのはマズイだろう、とショックを受けたのだった。

 必要ないものを一斉に処分しているときに発見したPC眼鏡だったので、自分がこんなに捨てないといけないぐらい、ものを持て余しているのか…という悲しさのダブルパンチだったのです。

 

 

 ものを買うことは好きだ。自分の中の考え方と照らし合わせながら、とびっきり良いものを選んで買うことが、好きだ。

 そして、ものを捨てるのは忍びない。なぜこんなにものを買ってしまったのだろう?と悲しくなるのだ。ちゃんと使いきれなかったこと。ごみとして捨ててしまうことの罪悪感。失ってしまったお金。

 ものを買う楽しみと、ものを使う実用性。これをもうそろそろ噛み合わせたい。本当に必要なものだけ手元に置いて、PC眼鏡を失くしてしまうぐらいごちゃごちゃな状態にはしない。きちんとものを把握しながら、生活していたい。

 

 そんなところだ。

 

 ちなみに、この文章はきちんとPC眼鏡をかけて書いている。ブルーライトがカットされている感じはしないけれど、目の負担が軽減されていればいいけれど。