ベランダの実験室

思考の記録です。

待ち望む、雨

 雨がたくさん降ればいい。

 雨靴をしっかり履いて、私はビニール傘で出かけるのだ。

 パラパラと小気味良い雨音を聴きたいから。

 

 自分の中に「おいしさ」と「気候」の感覚が小さくなっていたら、それは危険信号だ。待ち望む、雨。晴ればっかりでは、いささか面白くない。

 

物理的に離れる

「治野さん、人を殺すような目で見てたよ」

 おおうっと。本性が出てしまった...。

 

 私、人を殺すような目で見ていたそうです。まあ実際その時のことを思い出すと、間違ってはいないですけれど。自分では繕っているつもりですがなかなか隠せてはいなかったようです。困ったものだなぁ…。

 

 私には嫌いな人がたくさんいます。見ていて不快に思えてくる人もたくさんいます。その傾向は年を経るにつれて増すばかり。

 博愛主義者で優等生ぶっていたときよりも自分に正直になったということなのか、あるいは私がどんどん偏屈に心が狭い人間になっていったというのか。多分、どちらも正しいと思います。

 ただ、出会う人全員を「殺すような目」で見ても仕方がないし印象をただ悪くするだけなので、普段私は割と心を殺して生きています。殺して、というか、感覚を麻痺させています。現に人の行動や言動を見たり聞いたりしてもあまりムカッとしません。割と平和に生きていけています。行動や言動を言葉にしたり考えたりしないようにしているのです。心の浅いところで留めておくと、大した傷にならなくて済みます。

 

 どうやらその時の飲み会では麻痺が効かなくなっていたみたいです。というか、相手も酔っているし…。お酒は飲んでいませんでしたが、私も少々箍が外れてしまっていたようです。私と相手のやりとりを聞いていた周りの人は、どうやら面白かったみたいです。

 

 どうすれば気にしないで済むのか。考えたらもっともっと気になってしまうとは知りながら、それでも気になってしまうのは色んなこと。もっと心が死ねばいいのに。

 「気になる」の大氾濫で溺れないように、最近私は物理的自分が離れることを覚えました。「気になる」の発生源の近くにいるのがどうしても耐えられなくなったとき、私がその場を去るのです。例えば「イヤフォンをする」のも離れるための工夫。

 ただそれは自分に不都合なものは締め出すことと同義ではないかとも思うのです。それはそれで、私は危ない人間になってしまう。どうしたものか、というところです。

私がまず魅かれた人の話

  仕方がないからここに書こうとする。
 別に特別な感情はなくて、そういや書こうかな〜ぐらいの気持ちである。

 私がまず魅かれた人の周りは、今、なんだか大変そうである。
その人は10月から出るアルバムには参加しないんだって。事務所のアイドルが一堂に揃う(まあ、もう「一堂に」なんて言葉薄っぺらいけど)音楽イベントにも参加しないんだって。ファンからは脱退しろ、とか言われているらしいし、もうみんな面白がってるでしょう?という領域だ。もちろん彼に対して心底怒っている人もいるだろうし、まあまあそう怒りなさんな、私の推しが無事ならそれでという人もいるだろうし、人の数だけ主張はバラバラで、私もそのうちの1つなのだと思う。どれも否定する気にならないし、どうでもいいと思いたい、という部分も正直ある。
 もうなるようにしかならないし、事務所と本人とメンバーで議論しあって、その決めたことを誠意を持って全うするしかない。だから、私は特に何も期待しないし何も望まないしガッカリすることはない。ただ、彼のことは書こうかなと思って、こうして文章を考えている。

 私がまず魅かれたのは、その容姿だった。KPOPアイドルだけど日本人受けしやすそうな顔だち。そして、目立つわけでもなくキラキラしているわけでもなくしかし何かが不足しているわけでもないという「不足」があるところに魅かれた。
 こう表現するとすごい失礼なのだと思うけど、私はあまり「グループのセンター」みたいな圧倒的な人、キラキラしている人、容赦ない人に惹かれない。どちらかというと目立たず、癖がある人が気になってしまう。まあ、私がそういう人間だからかもしれない。
 実際に私が接するとすれば、複雑でややこしい人と同じくらい、単純でカラッカラな人も欲してしまう。その真っ直ぐさに憧れ、救われるから。が、話はアイドルである。とにかく私はややこしそうな人を好きになる傾向があって、彼もそういうタイプそうだった。そして。それは多分外れてない。
 器用で、だからこそずば抜けた何かがなく、自信がなさそうで、「中間管理職」なんて評され。そういう彼が好きだった。彼が結果的にどうなるのか、次の楽曲ではどうなるのか、どう魅せてくるのか。他のメンバーより気になって仕方がなかった。それが、私が彼に惹かれた理由。
 結婚しても、それまでの道のりや結婚した後でファンにとっては酷いと思える対応をしたとしても、私はさほど失望しない。それでこそ彼なのであり、納得できそうな気がしてしまったから。彼が何を思っているのかは知らないが(もしかしたら「正義は我にあり!」って感じなのかもしれない)それでも大変だろうなぁ…。何かを後悔してたりしていたら尚更(あまり後悔はしてなさそうだが)。


 とにかく残念である。
 そう、それだ。


 なんで、なんでそうやって自分で自分を貶めることをするんだ。誰かが否定したとしてもそれは関係ない。だけど、あなたは自分で自分を貶めているようにしか思えない。これから自分が渡る橋を片っ端から壊しているようにしか思えない。そんなことやめればいいのに。

 

 書いていて、ここまで行き着いた。なかなか書いてみないとわからないものだ。

 そして、思う。別に他人事じゃないということを。それも私が彼に魅かれていたところだということを。自分でも思うところはあるのに、自分の人生台無しにするようなことをしてしまうことを。私は少なくともそういうところがあるから、彼をめぐる話はあんまり愉快なものじゃない。推していたからってこととはまた別で。
私という人間は、割とどうしようもない人間だってことを私はここ数年考えていたから、全然笑えないよなぁ。

 ということで、しばらくはゆっくりすれば?という感じだ。周りはうわーっと言うけどさ。気にせず。そんなアドバイスをする人は、彼の周りにはいないのかもね。


 ということで、この話はもうおしまい。
 私は自分で自分の人生壊さないように、日々恐々と生きることにするよ。

不機嫌からの卒業

 私は気分がコロコロ変わる。

 自分って気分屋だなぁ...とは昔からよく思っていて、しかし、あまり私のことを知らない人は「落ち着いているね」と言ってくる。違うんです。それはかなり自制して得ることができている姿なのです。

 

 気分がコロコロ変わるから、立ち直りも早いけれどその逆も然り。すーぐ怒る。ふさぎ込む。機嫌が悪くなる。ムカつくことが多いのでそれだけ不機嫌になることも多い。

 しかし、もうそういうところからは卒業しよう、とここ数日でふと思い立ったのだ。

 

 だって、私は不機嫌な人が嫌いなのだから。

 何に怒っているのかは知らないが、その毒素を周囲をまき散らさないでおくれ、と思って生きてきた。

 私は他人の「不機嫌」に弱い。誰かがイライラしていたり怒っていたりすると、途端にドキドキする。おろおろする。どうしていいかわからなくなる。不安になる。不快な気持ちになる。誰もが私のように思うわけではないだろうけれど、自分だっておんなじことをしてきた。そのことに、気がつく。だから、私は不機嫌でいることを辞めにした。

 

 考えてみれば、「不機嫌」というのは私にとっては1つの手段。自分のなかで考えていたものが思い通りにいかなかったり、他人が期待通りに動いてくれなかったり、そういう「欲求」が叶えられないことをアピールするためのものだった。私はこんだけ怒っているのですよ、ってことが上手く伝えられなくてってこともある。怒っても仕方のないことがあって、それで不機嫌になっていることもある。誰もわかってくれないんだコンチクショウ、という感情の発露でもある。

 ただ、不機嫌になったところで、事態が解決することもあるまい。いいかげん「他人が理解してくれる」ってことを期待していたら一層しんどくなるばかりではないか?というぐらいに、まあ、しんどいのだ。色々と。

 

 よく頑張っている私、と思うことにして。

 不快な人は眼前から消え去ってもらうために、私が去る。

 そして、私はいつも上機嫌でいる。それは自分のために。

 不機嫌な人は、勝手に不機嫌になってろ。私は、私で幸せになるから。

 

 そんなことを考えていた。

暗闇の備忘録

 こういう晩は、唐突に「ああ死にたいな」と思う。

 何かひどいことがあったわけではない。罵倒されもしないし悪口を言われたわけでもないし、いじめられたわけでもない。

 強いて言えば私の周りには誰もいない、ということぐらいだろうか。

 

 私には友達がほとんどいない。誰も私を誘わないし、私も誰かを誘ったりはしない。誰かと時間を共有する楽しみをこの歳になるまでおそらく味わってこなかったばかりに、私は誰かと一緒にいることが心地よく思えない人間に成り果てた。

 さあ、私はどんな人間なのだろう?この世に存在していいのか。とりあえずは「使える」「有用な」人間なのだろうか?…わかってる。使えるとか使えないとか優しいとか優しくないとか、そんな些細なことと人間の存在は関係がない。何もできなくたって、誰かに迷惑をかけたって、存在しなくていい理由にはならない。だけど、私は自分に問うことをやめない。私は使えるのか。誰かのためになっているのか。迷惑をかけていないのか。問うことを、やめられない。

  ということで、私は今も己には問い続け、外界の情報はできるだけ察知しようと必死である。具体的には、自分以外他者の評価をものすごく気にする。自分がどう思われているのか。どういう人間に見えているのか。とても考える。考え、時に修正し、アレンジしながら生きてきた。それがうまくいっているのかは、知らない。

  そういう生き方は正直しんどい。とてもじゃないがオススメできるものではない。誰も私が知らない空間に身を置かないと、とてもじゃないが身体がもたない。家族ですらしんどい。いや、家族だからしんどいのか。それはさておき。

 

  私は大体の人間のことが嫌いなのだと思う。それはその人が悪いのではなく、私自身の問題だ。私が嫌っているだけのこと。私が嫌いなだけのこと。私の周りにいる人は何も悪くない。

 

 あまりに1人でいるものだから、時々箍が外れるのかもしれない。それとも自然と滲み出ているのか?それは相手にも伝わっているのか?理解されたい。わかってほしい。ただひたすら「そうだよね」という同意の言葉を求めてしまう。それは、客観的に見てひどく重たい姿勢だと思う。なら、私はどうすればいいのだろう?そんなことを考えては途方に暮れ、落ち込む夜は数え切れない。(こんなことを書いているが、今日は割と大丈夫な方だ。まだ、落ち込んでいない。)

 

 死ねば誰かわかってくれるのか、と思う。死ぬことで私が今感じていることが誰かに伝わるのなら、そして悲しんでくれるのなら、私は死んでもいいのかなと思ってしまったりする。でも、まあ、死んだ後私はこの世界にいることができなさそうなので、やっぱり死にたくない。そして私がなおも生きていられるのは、この世界には私が知らない感動が絶対あることを確信しているから。世界が美しいか確かめるためには私は綺麗なものを見つけるまで生き続けなければならない。世界に少しでも美しく心動かされるものがあるならば、私は生きる価値がある。

 

 死にたいなと思う夜に、やっぱり死ねないなと思える幸福。

 少しばかりうまくいっていないが、それだけで命を差し出すのはとても惜しい話。

 

 何があってもこの世は捨てたものではない、と思いたい。

 たとえ一人でも。誰からも理解されず、私も誰かを理解することができなくても。

 せめて、そういうことを考えている今の私の気持ちだけ書き残して、今日は疲れているのだからさっさと寝よう。

 

 お疲れ。

ムカついても、ムカついても。

 私は、性格が悪いと思う。

 性格が悪いというか、自分なりに考えて、人とおんなじように流されたくなくて、それを自分のなかで全うしようとして、まあ、理解されない。

 

 最近はそれに加えて、自分の心が荒んでいるのかなんなのか、とにかく負のオーラが自分からにじみ出ているような気がする。

 具体的に言うと、街中で人とぶつかったり満員電車で我先に出ようとする人を見たり並んでいる列を無視して割り込む人がいたり、そういう人たちを見て「とにかくその人たちの人生、不幸になったらいい。ロクなこと無いぞ!」と思うことでしか負のエネルギーを発散できていない状況。とりあえず、帰り道に思いっきり転んで!って思ってしまうのだ。これはだいぶマズい。そもそもそんなところに引っかかっているあたり、精神的に余裕がない証拠のような気がするのだ。

 

 私は自分が気が利く人間だとは思っていないが、小さなころから定期的にムカついてしまう非常に鈍くて自分勝手な人間がそばにいて、いまだにそれを消化できていないことを最近になって改めて思い知らされた。とにかくイライラする。当の本人は全くダメージを受けていなくて、どうして私のほうが勝手にキリキリしないといけないのか。なんで私の方が我慢したりしているのに、あいつは悠々自適に過ごしているのか。ただただ腹立たしくて、ついに私はひそやかに宣戦布告をした。端的に言うと、もう無視。ひたすらに無視。本人と関わることは一切しない。声もかけない。何もしない。もう私は振り回されない。そう思っていたはずなのに。

 

 結局ダメみたいだ。戦いを挑んだところで、相手からは返り討ちに遭う始末。私がなぜそういう態度をとっているのかすら、自分自身に問えない人間だっていうのは知っていたはずなのに。私は何を期待していたのだろう。

 

 ということで派手な宣戦布告はあっけなく取り下げることにするけれど、心の中では祈る。近しい身内であるはずだけど、どうか幸せにならないでほしい、と。

 

 ムカついても、ムカついても。

 その相手はピンピンしている。平気で幸せになっていく。ああムカつく。イライラする。悔しくて悔しくてどうしようもなくて、でも相手はちっともダメージを受けていない。ただただ私の手のひらが血で汚れるだけ(もちろん何も物騒なことはしていません。あくまで比喩です)。

 そういうときはどうすればいいのだろう、と考える。

 忘れる。自分にとって心地よいもので己を満たす。私も幸せになる。ムカつく人を永遠に私の中から葬る。消し去る。無い者として考える。不幸を祈ってもダメ。それは考えているということだから。もう存在を消すレベルで、考えないようにする。私から遠ざかる。

 

 私がいくらキリキリしても嘆いていてもムカついても、悲しいことにわかってくれる人はいないだろう。わかってもらえることを期待してもおかしなことになるだろう。同情を求めてはいけないんだなぁ。そんなことを考えていました。こんな感じの日々だけど、実は滞っている問題がない。だからこそ、ちょっと怖い。疲れているのかなぁ。それはマズいなぁ。

水没

 iPhoneが水没した。

 典型的なシチュエーションで、どぷんと水の底に沈んだiPhoneを見たとき、不思議と私は驚かなかった。冷静にiPhoneを底から手で掬い上げ、水分をふき取り電源を切り、PCで「iPhone 水没 対処法」のワードで検索をかけまくって、できる限りの処置をした、と思う。

 おかげで今日はiPhoneの電源すら入れられない。しばらく水分を取り除くために乾燥させないといけないからだ。その後電源を入れて無事に動くかどうかは、iPhoneのみぞ知る世界。

 「スマートフォン」がないと、ほんの隙間の時間を持て余すことに気がつく。逆に言うと、どれだけの細長い時間(+ゲームやネットサーフィンにハマったら細長いどころでは済まされない膨大な時間)をスマホとやらで埋めていたのか。そんなことを考える1日だった。かといってこれからもスマホは手放せないけれど。