ベランダの実験室

思考の記録です。

20171211 うなぎ

うなぎを食べる。

ほわほわしっとりの肉質。うなぎらしいあの食感がたまらなく美味しい。

私は山椒が好きなようで、山椒を遠慮なくかけて食べられる食べ物なのも好き。


話は変わって、一昨日、とある本を買った。HSP(Highly Sensitive Person)の本。個人的には、私がどういう種類の人間なのか考えなくていいやと思っている。名前なんてつけなくていいし、つけても間違ってるかもしれないじゃんと思っている。私はHSPなのです!と声高に宣言してもね…。だけど少しでもしんどいことが緩和すればいいなぁと思って、手に取ってみた。


毎日、確かに生きていきたい。それが私の願い。

1209 1度だけやってみたいことリスト

・デリバリーピザを頼んで(自分でお店まで足を運んでも良い)ピザの箱の蓋を開けて「わぁ〜ピザだ〜」ってテンション高めに感動したい

・ついでにピザも食べたい(もちろんピザは食べたことある)

・コーヒー豆を買って、ゴリゴリ自分で挽いて、コーヒーを入れて飲みたい

・あくまで豆を挽くことがメイン

・上等なホテルに泊まって良いホテルサービスを受けてみたい

・美味しい油そば食べたい

・駅弁食べたい

・100kmマラソン走ってみたい


以上。

20171207 大丈夫?という言葉

大丈夫?と言われて、

大丈夫ではあるのだけどふと泣きたくなってしまって、でも大丈夫だなと思って喉まで込み上げてきた「大丈夫じゃないです」という言葉を私は飲み込むことにした。飲み込んだら、胃がムカムカした。


「大丈夫?」という言葉は、「(私帰ってしまうから分からないことがあったら今のうちに解消した方がいいと思うけど)大丈夫?」の略である、と私は思った。だから「大丈夫です」と答えた。実際作業には支障がないから。だけど私は大丈夫じゃない。毎日毎日、不安だしストレス感じてるし別に期待はしてないけれど自分で色々やりたいことがあるのにできてなくて、だから大丈夫じゃない。でもそれをこの人に言っても仕方のないことを私は知っている。だから言わない。


こうして考えると、「大丈夫?」という声かけは色々あるのだ。省略されている言葉も多い。「大丈夫って言ったじゃないか」というのは、乱暴だなぁ…と思う。もし、自分が「大丈夫?」と声をかけた時は、その人の大丈夫じゃないことに対して声をかけられたらいい。そういう人でありたい。だって、私は大丈夫?って言って大丈夫じゃないのに、大丈夫って答えてしまうから。


色々と難しい。

20171205 トコトンこじれるつもり

こうなったらトコトンこじらせてやる、とふと思った今日は火曜日。あっという間に時間が過ぎてしまう。そうあってほしいと願っている通りに。だけど早く時間が過ぎればいい。そうして「いつかは良くなる」と期待していても何も起きないと思う。「いつか」なんて来ない。そうはいっても取り急ぎ積極的に何かしようとも思わない。自然に、生きてればどこかにはたどり着くだろう。
まず、「どうあってもいい」というところからやっていくこと。犯罪を犯さず、意図的に人をめためたに傷つけることをしなければ(⇦例えば心とか)とりあえず何やっても大丈夫やで、という考えを核にする。本当ね、人に嫌われないようにとか考えてしまうわけです。そうでもしないと。私は出来るだけ人に嫌われたくないと思っていて、嫌な奴だなーと思われないように生きてきて、それはなかなかしんどいようです。失敗も非難も怖いですもん。
自分はロクでもない。けれどそれは自分で自分をめためたにすることを赦すことではない。
そんなことを考えていた。楽しく生きていきたい。できれば。
誰から何かを言われたわけでもなく(大概は誰にも何も言われなくても)こんなことを考えている。

生きるってもっとシンプル。という確信めいた感覚だけある。もっと単純で大丈夫なはずだ。焼き鮭とご飯の組み合わせ最高〜もうお腹いっぱい、寝よ。ぐらいのわかりやすさが欲しい。

生きることを、嘆きたくない。

20171203 真面目

自分をこじらせて今まで生きてきた。

特に何かをものすごく考えてきたわけではなく、ただ単純に私はとても閉鎖的な人間なのだと思う。内向的、とはまた違う。閉鎖的なのだ。自分の殻に閉じこもってしまう。他者との関わり方は私の長年の懸案事項である。上手く人と関われないなーと思ってきて、色々と書籍やネットの情報を見てみた。その中に自己肯定感の低さというものがあった。自分で自分を肯定できない。他者から承認を得ることでしか自分の存在を認めることができない。そんな感じだった気がする。じゃあ私は自己肯定感が低いのか、と考えてみた。案外私の自己肯定感はそれほど低くない気がする。確かに、人に怒られたり注意されたりするのが嫌いで、人の目を気にして生きている。他者が評価してくれるように行動しているところはある。でも、他人から気に入られよう、というよりは最低限そのコミュニティからは外れないような振る舞いをしようと思ったが故の行動なのだ。私はその相手と友だちになりたいわけではなかった。ただ生きやすいように生きていきたいだけなのかもしれない。どのように生きたらいいのだろう、と考える。違う。どう生きたいか、の間違いではないのか、本当に考えるべきことは。人生は長い。一瞬では終わらない。いつまでこれが続くのかはわからないけれど、確実に終わる日がやってくる。その日まで生きるしかないらしい。楽しく生きたいはずなのに、楽しく生きることができていない。それは嫌である。どうすればいいのだろう。どうしたいのだろう。んー、考えていても仕方ないですね。動くことでなんとかやっていくしかないし、そういう過程を私は楽しめると思うし。世の中わからないことだらけで、一体どうしたらいいのかわからなくて、この世界って一体何なのだろうと考えてしまう。意識があり私は今生きている?どうしてそれがわかるのか。こういう世界を引いて引いて引いて引いて人間の存在、宇宙のあり方を考えると気が狂うのでやめておきましょう。

ということを、私は考えていたのだけれど、世の中の人って今何を考えて生きているのでしょう。

20171201 飲み会

私は飲み会が嫌いである。3000円払うなら単行本2冊、スタバは4回から5回、KPOPアイドルのアルバムなら1枚は確実に買うことができる。私は2時間飲み放題の席よりそっちの方が価値があると思っているのだ、ということを馴染みの美容師さんに言ったら不思議がられた。この感覚、普通だと思うけど。

だから滅多に飲みの席なんて無いし、呼ばれるだけありがたいのだろう。

嫌いだけど、いや、だからこそ、飲み会というのは刺激がある。自分が嫌いな場だから。日頃参加しない場だから、物珍しくて仕方ない。新鮮だから、刺激的。


私は自己中心的で、だから今日も自分のことを考えていた。料理は美味しかった。たくさん料理が出て、食べきらないくらいで、だから喋らない代わりに料理をひたすら口に運んだ。

お酒を飲むのはやめた。やんわりと「酒を飲んだら体調悪くなるし、明日早いのでー(後半は嘘)」と言ったらさらに首を突っ込まれてしまい、明日は山へハイキングに行くことになってしまった。気が向いたら、行く。喋った時は嘘でも、実際に行えば嘘ではなくなる?

実は今日の飲みの席は送別会だったのだけど、送別される人に挨拶をしないまま帰ったことに、店を後にした後に気づく。一応お世話になった人だったのに。好きか嫌いかと言われれば、そんなこと考えたくない程度には関心を持ちたくない人だったけれど、お世話にはなっていたので声をかけるべきだった。礼儀知らずなやつだなと思った。何やってるのだろう自分、と思う。酔ってはないけれど、覚ますべく、あるいは思考を整理すべく一駅歩く。あの2時間より、この15分の方が満ち足りているのにね。

飲み会は好きじゃないが面白い。

どうでもいい会話だな、とビーフンを食べながら人を見下しているけれど、そういう話はどうでもよくないことをしているのかと言われれば絶対違うから、私はどうしようもない奴なのだろうと思う。

人と会話する。難しいね。


20171121 夜空の色は黒

ふと帰り道。空を見上げてみた。空を見上げるなんで行為、いつぶりだろうかとしみじみとした。当たり前なのだけど、夜の空の色は暗い色。私の住むまちは明かりがついていて、だから星があまり見えない。本当の夜空の色を私は知らないのかもなーと思いながら、空を眺めていて、はへへと笑みがこぼれてきた。ヤバい。明らかに変な人だ。そうかー、夜空って黒だよな。当たり前だよな。夜だし。そんなことにいちいち感動しているくらい、今の私は疲れているのか。今日は比較的元気な方で、だからこれも書けているのだけど。こういうことが、何かあればその日は良い一日だったと思うのだ。積み重ねていきたい。