ベランダの実験室

思考の記録です。

20170921 労働と時間を奪う人

労働をしている。

私はフルタイムで働いている。


「えー院生だと思った」「大学院行かないの?」とそういえば言われた。結構この言葉が嬉しかった。なんでそう言われたのでしょうね。あまりに社会に馴染めなさそうだからかな。もっともな意見だと思います。


大学院に行くより働く方がありそうな道で、多くの人が歩んでいそうで、積極的に人生を生きる意志もなくて、私は働いている。

働くと周りは安心してくれるし、私も安心する。お金がないと、本も買えないし行きたいときにカフェも行けないし音楽も聴けないし食べ物も食べれないから。もう、あまり誰かにお金を頼って生きていくのは嫌だったから。私は働いている。


新しい環境で働いている。ここ数日早く帰ることができなくてイライラする。自分のミスもあるけれど、自分ではどうしようもない理由で帰りが遅くなることがある。まあ、まだ早く帰れている方なのか。

それにしても定時って言葉が形骸化していて、ちょっとこれどうにかして欲しい、と思っております。みんなさっさと仕事して、さっさと帰ろうよ。1人1人の余裕が生まれればお金も使うし経済が活性化するよ?って思うのだけどな。


そして、人の時間を奪う人がいる。同じ内容を、1/4に縮められるだろうに…と思う人とそこそこ出会うのだ。そして私はそれにとてもイライラする。あなたはそれでいいのかもしれないけど、時間はあなたのものばかりじゃないのだけどなーなんて思いながら過ごす。その人に私の時間を使わせないようにするためにはどうすればいいのだろう、なんてことを考えている。実際私にも隙があるわけで。とりあえずそこを埋めてから真剣勝負なわけで。

とても困った。時間に無頓着な人が苦手です。

が、人から言わせると私の方こそ浪費の塊らしい。無駄な作業が多いのだって。そうか…見直さないとな。


働くって難しい。

20170919 今日の気分

連休明けの平日。それほどダメージがない。むしろ午後からはエンジンがかかって調子が良かった。

自分の気分を観察してみると、どん底と能天気と交互にやってくるものだと思うし1日でも気分が非常に変わりやすいのがわかる。私はとても気分屋だ。

調子が良かったのは誰の邪魔もなく作業に没頭できたからだし、本もたっぷり読めたからかもしれない。スマホで気になる文章を読んでは考え、もっと上手い文章を書けるようになりたいものだと思い、自分の世界の狭さは今日に限っては「可能性」として捉えることができた。こんな状態を、気分が良いと言う。

上がれば下がるもの。下がったら上がるもの。それが気分。できることならその起伏は平坦である方が望ましいだろう。感情のジェットコースターはとても疲れる。体力も精神も消耗する。凪いだ湖のような心でありたい。そういう強さを私は常に望んでいる。

 

文章を書こうと思う。創作ではなく記述。日常のあれこれをとにかく書こうと決めている。1年ぐらい前から。誰の得にもならない、趣味的な行為。

 

世界を狭くしているのは自分だろう。そんなことを、1人歩きながら考えていた。自分がその気になれば、世界はもっと広がるのだろう。そのための体力を。知識を。つけたい。そんなことしても出歩けば世界は広がるのか。どうだろう。

という取り留めもない文章。

20170918 日記

この3連休は引きこもっていた。習慣の週一図書館通いはできたので、まだマシだとも言える。かなり億劫だったけれどなんとか本を借りることができたので、この1週間も無事に過ごせそうである。

自分の状態を観察していて、1つ気がついたことがある。

日常の細々したものを億劫に思うとき、蔑ろにしているとき、私は不調である、ということである。

普段の私は意図してきちんとした生活をしようとしている。逆に言うと私的きちんとした生活をするためには、意志の力が必要ということだ。

不調なとき、私の意志の力は限りなく弱くなっている。何もする気にならない。体が重くて何も手につかなくて、ネットサーフィンとスマホゲームとYouTubeにどっぷり浸かって過ごす数時間は、そりゃあ楽しいけれど不健康だとも思っている。だから、つらい。不健康だと思っていてもやめられないこと。気分がどん底だ。

そういうところを自分で許せるようになれよ。そもそもそのあたりが長年の問題であるような気もするけれど、できませんね。理想を高く掲げてしまうみたいだ。

 

この連休、何も手につかなくて、「ああ自分は不調みたいだ」と気がついた。頑張りすぎていたのか。確かに気が張る一週間だったので、疲れているのは仕方がない。明日からはもっと楽にやっていけたらいいと思う。あんまり張り詰めると体がもたないということを気がつく、秋。気がつけば9月も半ばで、そのことに愕然とする。なんと早いものか。

20170914 言葉の厳密性

「厳密」とは

kotobank.jp

好き勝手に言葉を使っていたらいつのまにか上手くコミュニケーションができなくなっていました、みたいな状況である。言葉を厳密に扱うのが、どうやら私は苦手っぽい。すごく息苦しい。でも相手からしたらおめーの言っていること意味わかんねーよ、となるのだろうなぁ...うああ、なんかつらい。

「ちゃんとする」のが苦手だ。型にしっかりはまろうとすると途端に上手くいかなくなる。のびのびやっていた方が私の生産性は高い気がするのだけれど、そうだよね、好き勝手にやっている人って疎ましいよね。私もそう思う。勝手にやってんじゃねーよおめー、って思う。多分。

心を穏やかにしていきたいのだけれど、みなさん結構厳しいですよね。私なんて自分がやられたらメンタルぼろぼろになるから他人と接するときは優しくいようと心がけているのだけれど、他の人はそうでもないのか。ぐさぐさくる。ぐさぐさしてしまう自分も嫌だ。

そのあたりしんどいけれど、まあ頑張りましょう。人にわかる言葉を使わないといけないのは、そうだよね、独りよがりで喋ってきたから私の周りには人がいないんだろうなぁ..私は.ガラパゴス諸島ではないので貴重な生物として尊ばれる日はやってこないけれど、生きていかねば。とりあえず生き残り戦略を立てることにします。

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20170911 着たい服を着る、ただそれだけで

色々な事情?があり、普段来ている服を今日から替えることとなった。非常にぼんやりとした表現になっているが、そういうことになった。前はあんまり自分が着たい服じゃなかった。今日から自分がより着たい服を着ることにした。途端に、やる気がでる。やっぱりこうでないとな、と思った。好きなことをすると、ちょっとハッピーになるんですよ。当たり前と思うでしょう?でも案外出来なかったりすることなのです。周囲の目を気にしている自分がいて。

着たい服を着るただそれだけで、私はちょっとうきうきします。

これからもそうして生きましょう。好きなことすべてで人生は成り立つわけではないけれど、手に入れられる身近なうきうきはゲットしましょう。

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しんどいので何がしんどいか書き殴ります

状況:5年ぶりくらいに会う、学生時代の友人たちとの食事会@普通のショッピングモールにあるお洒落なカフェ


・単純に歩き疲れた

・自分の近況を話すのがだるい

・気を遣う

・この歳になると現実味を帯びてくる「結婚問題」

・結婚する気もない、ということをバッサリ言ったら若干引かれてしまったことについて

・仕事が大変なのは知ってんだよ それをいかにやりくりするかの問題であって、だから仕事つまらないとか確認するための会話って無意味じゃない?

・早く帰りたいけど、帰るって言えない

・これ家にいた方が充実してたのでは?と思ってしまう自分に苛立つ

・事実、休みだけど休めてなくて悲しい

・こんなこと言ってるからいつまでも私はダメなんだと落ち込む

・酷い態度をとっていたのではないかと落ち込む

・生きることって面倒だなと思ってしまうことに落ち込む

・協調性がなくて悲しい

・この感情にしみじみ浸っていたくて今日のことを書き殴りたいのに心底疲れている


と言うことで、まとめると、こんなことしてるから数えるほどしかない人脈をさらに減らすことになって、悲しいな、ということになるかと思います。

さっさと寝ることにします。

20170905 ノートを買う

 ノートを買った。

 ノートを買うなんて日常的な行為なのだけれど、とにかく買った。

 B5サイズで小さめのタイプ。

 そこには日常の色々なことをとにかくドバドバ書こうと思っているのだ。雑記帳、と言えばいいのかな。同じようなことは今までもやってきたのだけれど続かないことが多かった。今回も続かないかもしれない。途中でやめてしまうかも。ただ続かなかったなりにわかることもあって、それを踏まえてB5サイズにした。

 例えば、A4サイズは大きい。そう少々持て余してしまう大きさだ。1日のことを書くのだから最低でも1日1ページ使いきりたい。でも使いきれないこともある。A4って結構大きいのだ。あとは、最近持ち物を減らす訓練をしている関係で、日頃のバッグも小ぶりのものに変えている。そうするとA4だと少々大きくて、B5サイズぐらいがちょうどいいと思った。

 例えば、罫線同士の感覚は狭い方がいい。罫線の幅が広いとそれに合わせて文字も大きくなってしまう。自分の字が大きいのはなんとなく嫌みたいだ。かといって罫線がないのはふわふわとしてしまい嫌だ。方眼紙は好きだけれど横一列、罫線にそって文字を並べる行為になんとなく快感を感じるみたいなので方眼紙も嫌だ。となると、やはり罫線ありが一番良いみたい。具体的に言うと、7mmより6mmがいい。

 あとは高級ノートはダメみたいだ。気軽さに欠ける。高いノートを前にすると体も硬くなってかっこいいことを言おうとしてしまう。それはストレスの元になる。

 

 ということで、某コンビニエンスストアのノートを買ってきましたとさ。1ページ目に書いたのは、ノートを買ったのと同じ某コンビニのちぎりパンを食べたよ(これで某コンビニの正体は特定可能だろう)ということと、高校時代数学で赤点をくらって補講まで受けさせられたぐらい数学が苦手だった私が、この年になって数学が勉強したくなったことと、先の異例の生中継をした将棋のNHK杯に触発されて、私も将棋をやりたい!ということ。その他色々。

 

 ノートを買ったのは、このままなんとなく同じような日々が過ぎるのは嫌だな、と思ったから。過ぎ去る日々は絶対「同じ」じゃないけれど、未来のある地点で振り返るとおんなじように思えてくる。それは悲しいから、せめてこんなことがあったんだよ、という記録を残しておきたいなと思った。それは前から思ってたことだけど。

 

 過ぎ去る日々に対し、どう対応するからは人によって全然違うだろう。過ぎ去ることそのものを気に留めない人もいるだろうし、同じように思うのならばそう思わないように毎日毎日イベントを作ればいい、と思う人もいるのかな。ま、とにかく私はそんなことを考えていた、という話。

 

 続くといい。続かないかもしれないけれど、それに至る人生観みたいなものはあんまり変わらない気がするから、まあ、続かないのもあり。

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